至福の時。
そう、自分が自分であると認識できる瞬間。砕いて言うと、幸せな時。小さい幸せ、もちろんたくさんある。むしろ、小さな幸せが最大の幸せと呼ぶ人もいる。現に、昨夏日本に帰国した際、父親がビールを注いでくれた、それだけでも僕にとっては小さな幸せであった。アメリカに来てからというもの、ほんの些細なことにも感謝できるようになり、幸せを見つけれるようになったのも確かである。
I am who I am: therefore, you are who you are.
アメリカ人の友達がくれた言葉。周りの人たちは彼の冗談交じりのこの言葉を笑い飛ばしていたが、僕はこのシンプルな文章に特別な響きを覚えた。
「俺は俺、せやから、お前はお前。」自分らしい輝きを持て!と。
いつだったかは忘れた。僕が英語を好きになったのは。記憶が確かならば、僕の留学1年目が終わった7月、初めて英語が心から好きと言えるようになった。それまでは、英語は単なるコミュニケーションのツールだ、そう考えていた。
前回の記事にも書いたように、アメリカでは日本の時のように物事は上手く運べない。大抵は失敗に終わる。それも、時には取り返しのつかない失敗に終わる。日本でほとんどかいたとのない恥も何度経験しただろう。プレゼンテーションのトピックの意味を勘違いし、1人だけ畑違いのプレゼンをしたこともあった。教授に教科書を朗読するよう言われ、数え切れないくらい途切れ途切れにしか読めなかった時もあった。その度に、自分を鼓舞して「もういっちょ!」と立ち上がるときに弾みをつけてくれたもの、それは友の存在。
そんなどうしようもない落ちこぼれの僕を変えてくれたもの、そう、夏休みに参加したボランティア活動であった。7週間と短い期間であったが、僕の今までの人生において1番嬉しい時だった。日が経つたびに友との仲は深まり、話すたびに自分の光が垣間見れ、笑うたびに本来の自分が見えた。世界各国からのボランティアメンバーと過ごすうちに英語力はずいぶん伸びた。と共に、日本にいた時と同じくらいの蜜の濃い人間関係も築けていた。知らず知らずの間に。