謙遜が美徳とされている日本では、自分が他人より優れていると思っても、「私などは、たいしたことはありませんよ」などど言う。
しかし、あくまでもマナーとして謙遜しているだけだから、シチュエーションによっては謙遜しない場合だってある。例えば、就職の面接で「わたしなどはダメですよ」なんていう人はいないだろう。日本人は誰でも、謙遜する時と場所をうまく使い分けているのだ。
ところで、欧米の感覚からすると、謙遜することは自己呈示しないことと同じで、「自己呈示ができない人は、自尊心が低い人である」ということになってしまう。
日本とカナダの比較研究を行った、東京大学大学院人文社会研究科の山口勧教授は、「欧米の研究者が行った日本人研究には誤解が多く、その一つに“日本人は北米人よりも自尊心が低い”というものがある」と発表している。
(自尊心およびその自己呈示に関する日本とカナダとの国際比較。2004年)
山口教授はこの比較研究で、日本人の自尊心が決して欧米人に劣らないことや、謙遜する習慣が自己呈示したい気持ちを抑えてることを説明しているが、いくら説明したところで、一般の欧米人が日本の謙遜の文化を理解するとは思わない。また、理論として理解されたとしても、実生活において、日本人の評価が変わるとは思わない。
欧米で過小評価されないためには、欧米のやり方で勝負するしかない。それには、
欧米式の自己呈示に慣れるしかない。自分を売り込むことに慣れていない日本人には違和感があるかも知れないが、日本でも謙遜する時と場所をうまく使い分けたり、売り込むべきときはそれなりに自己呈示しているのだから、慣れさえすればそんなに難しいものではない。
ちなみに、欧米社会にも謙遜のマナーはあり、普段の会話で自己宣伝が過ぎればイヤミになる。欧米社会でも、シチュエーションによって自己呈示の度合いを変えるのが分別ある行動なのだ。