カナディアンライフ
カナダ留学無料カウンセリング日本人一人ぼっち   By Kahoru Noonan(かほるヌーナン)

トロント大洪水 その2



夕飯を求めて

怪しい雲行きのトロント上空

怪しい雲行きのトロント上空

   前号では素敵なレストランでのランチやダウンタウンの地下の町を見てカナダ人のアイリーン、フィリピン人のウィニーと私の女性3人は気分よくダウンタウントロントを楽しんでいた。中華街、ユダヤ人街などを楽しんだ後疲れたので午後のお茶をする事になった。だいたい午後4時半くらいだったろうか。PATHという名称の地下街にあるお店でフレッシュジュースを飲んでいて、ふと見上げた2階から見える外は灰色、そしてビルの中に入ってくる人は皆びしょ濡れ。

   天気予報では「晴れ時々サンダーストーム」との予報。この時期のサンダーストームは雨が降ってもすぐ止むので特に傘を持参してこなかった。ところが雨は真横に降り注ぎ地下道はだんだん水かさが増してきた。天井からも雨漏り、足元は池になった地下街からドア続きになっているホテルの2階へ逃げ込んだ。ホテルのロビーにはもちろんたくさんの人がいてこの物凄い雨の様子を伺っていた。

   しばらくすると大きな雷と共に突然ホテルの全ての電気が消えてまさに真っ暗になってしまった。15秒程でメインロビーの明かりは付いたものの同じ階にあるホテル付属のレストランや土産物屋は真っ暗のまま。だんだんとお腹もすいてきたけど外に出るわけにも行かず、地下街に戻るわけにもいかないので、ホテルのレストランで食事ができるか聞いたところ、レストランの中が洪水になっていて明かりも無いので無理とのこと。

川のような道路を走る

川のような道路を走る

   仕方ないのでしばらく待っているとまだ雨は激しく降っていてもピークは越えたようだった。それで意を決してバス乗り場まで走ることにした。ところが地下鉄が水浸しのためストップしてしまったのでその人たちが全員バス乗り場に集まってきた。誰が列の先頭なのか分からない。アイリーンとウィニーが居なかったら私はどのバスに乗ったら良いのかも分からなかった。人々はびしょ濡れで傘はまったく役に立たない。5台くらいバスを見過ごしたろうか、やっとの事で乗ったバスも停電の為信号機が使えなくなってあちらこちらで事故が起っているのかまったく動かない。窓から見た景色は来る時には無かった川が大雨の為に出現していた。

   やっとブランプトンのバス停にたどり着き駐車場に置いていった車に戻った。その頃には雨もだいぶ小降りになっていたものの夜10時を過ぎてもまだ夕食を食べていないので3人ともお腹がグーグー。バー以外のレストランは大抵閉店しているのでバーを求めてさまよった所停電の為早くの閉店、しかも普段は24時間営業のマクドナルドやティムホートンズ(カナダでもっとも人気のあるドーナツ屋)まで閉まっている。

   今日は夕飯を食べられない日なのだと決めた3女性はしぶしぶ家へと帰る事になった。途中でウィニーを降ろしてからもアイリーンはどうしても納得がいかないらしく、たった1件だけ停電していないティムホートンズを見つけて入ったものの長蛇の列。その時点では10時半を過ぎていた。結局ティムホートンズも諦め家へと戻った。アイリーンの家も停電の為、リモートコントロールで開けなくてはならない車庫の扉も開かないので車を車庫に入れることもできない。いつもは冷静なアイリーンも「Holy Cr..(カナダではポピュラーな隠語)」を連発していた。

水中に浮かぶ電車

水中に浮かぶ電車

   もう夜の11時、やはりお腹がすいている。アイリーンと私は停電の中赤ワインとチーズとツナ缶で乾杯!散々な日だったけれど、消して忘れる事のできない思い出になったことには間違いない。


 記事提供:ウェスト トレック ツアーズ
 かほるさんご夫婦が経営参加するツアー会社です。 バスで行く、ロッキーマウンテン、ウィスラー、ビクトリア、トフィーノ、シアトル、ポートランドの旅で一生忘れない思い出を作ってください。 www.westtrek.com

Kahoru NoonanKahoru Noonan(かほるヌーナン)
東京都出身。
日本で勤めていた車関係の会社で出会った一人のカナディアンがきっかけとなり、彼らの文化をもっと知りたくて2002年冬に初めてカナダに来た。とは言え、そのカナディアンの友達が住んでいるのはカナダの東側のオンタリオ州。ガイドブックを見てみると冬のオンタリオはとても寒そうだったので、厳寒にはならないカナダの西側バンクーバーにある英語学校に通うことに決めた。 ツアーで行ったシアトルで現在の夫と出会い、夫の経営する会社でボランティアとして働く事になる。ロッキーマウンテンツアーにガイドとして添乗するようになってから、カナダの自然の偉大さに次第に魅了されていった。2003年5 月に住んでいた家が火事になり、「湖のある家に住みたい」という夫の希望もあって、オンタリオ州に居を移す。バンクーバーに会社がありながらインターネットで会社をオペレートするという変わった方法で会社を維持経営。 家探しの間の約1年間をオンタリオ州Perthに住む夫の父親と同居。この時から夫の父親は大親友となる。2005年2月に念願の湖の上の家を購入後、日本人は私だけという、自然があふれたオンタリオ州の人口200人の小さな町クロイン(CLOYNE)に住むようになる。

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