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チューリップ咲き誇るカナダの首都オタワ



経済チューリップ咲き誇るカナダの首都オタワ

経済チューリップ咲き誇るカナダの首都オタワ

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チューリップ咲き誇るカナダの首都オタワ

オタワがカナダの首都になったのは1857年。オタワが首都に選ばれたのは、当時のアッパー・カナダ(イギリス領、現在のオンタリオ州)とローワー・カナダ(フランス領、現在のケベック州)の境に位置し、二ヵ国語使用の要素をもち、「州境にある小さな町なので他の候補都市に比べ一番異議がとなえられない」とビクトリア女王に進言されたためとも言われている。
当時、オタワには国会議事堂のほかは石造りの建物はほとんどなく、人口も18,000ほどしかなかったそうだ。

チューリップ咲き誇るカナダの首都オタワ
当時の首相ローリエは、オタワを世界に自慢できる首都として開発するための委員会を発足し、リドー運河沿いの美化運動も始まった。
町が一国の首都にふさわしい威厳と美しさを備えていくなか、カナダを代表する高級ホテルの建設が行われ、ダイニング・ルーム家具をイギリスから取り寄せたが、その家具を運んだのはタイタニック号で、多くの乗客とともに大西洋の海中へと沈んでしまった。現在フェアモント・シャトー・ローリエと呼ばれているこのホテルは、当時、政治家たちの集まりに頻繁に使用され国会議事堂に継ぐ第三の院、とも呼ばれた。

チューリップの咲く街

チューリップ咲き誇るカナダの首都オタワ



オタワの街づくりはその後も続き、膨大な予算が、コンフェデレーション広場とコンフェデレーション公園の造成に注がれた。この事業計画の完成は、この場所を町の中心から国の中心へと変えた。
第二次世界大戦中、オタワはヨーロッパ大陸の戦禍を逃れカナダに滞在していたノルウェー皇太子夫妻、ユーゴスラビア国王、ギリシャ国王、オーストリア皇后と皇女、オランダ女王と皇太子・皇女などヨーロッパの王室関係者に宿泊所としてリドー・ホール(現カナダ総督邸)を提供していた。そのなかでもオランダのマルグリエッタ皇女がオタワ市中の病院で誕生する際、カナダ政府は皇女がオランダ領内で生まれたこととなるようその病院の分娩室を一時的にオランダ領とした。以来、オランダ王室はこの時のカナダ政府の配慮を記念し、毎年チューリップの球根をオタワ市に贈っている。これが、いまでは、色とりどりのチューリップがオタワの春を飾る名物の一つとなった由来だ。

 

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