親というものはいつでも子供のことばかり考えてしまいます。子どもが大きくなって、もう自立してしまっても、親の目からは子供であることに変わり はなく、幼い頃と同じように子供のことを案じています。親の思いの深さは子供の頃には十分にわかっていませんでしたが、自分が親になってみて、痛 いほどにわかります。
子供が小さいうちは手の届くところにいますから、まだ良いのですが、大きくなってしまえば、子供には子供の生き方があり、親の思うように行動して はくれません。むしろ親にしてみれば願わない方向に向かうことのほうが多いかもしれません。
おとなになってしまえば、子供はたいてい手元にいないわけですから、ますます親は子供のことを案じます。病気にならないか、怪我をしないか、事故 に合わないか、etc、etc…
その思いは切ないほどです。子供に何かあれば、親はいつでも心のなかで自分を責めてしまいます。
顔をあわせると、それまでの心配が吹き出しますから、ついついうれしさよりも、こごとのようにいろいろ言ってしまいます。親は子供に遠慮はしませんから(これは子供への甘えもあるのですけど)言いたい放題言ってしまいます。このため、せっかく会ったのにけんかになったり、不愉快な思いになったりすることも…。
けんか別れしてしまって、ど~~~んと落ち込んでしまうことも。(経験済み)
でも、親というものはできることなら子供のためなら何でもやってやりたいと、常に思っているものなのです。子どもの立場から思うなら、どれほど感謝しても足らない。なにをしてもそれに価するお返しはできません。親はそんなことは何も望んでいません。親の望みはただひとつだけ。子供の幸せ、 ただこれだけです。この言葉のかげには健康であってほしい、笑顔で生きて行けるように、とひたすら祈っているのです。
この思いに感謝を表すなら、ときどき優しい笑顔をみせて、「ありがとう」「大好きです」というだけで十分だと思います。親に怒られても(怒ってる つもりじゃないことが多い)、一歩ひいて聞いてあげてほしい。 海外に暮らす私たちは、親から見れば、何かあったときにすぐに駆けつけてあげられない、と歯がゆく思う遠い場所にいるのです。
私たちが親になったら、同じように子供を愛し、慈しみ、育ててゆくことが親へのただひとつの恩返しだと思います。
たとえ子供をもたなくても、社会を担うひとりの責任ある大人として、自分も生きる社会に何か貢献してゆけば良いと思います。
さて、NZの地震で、大切なお子さんの無事を案じられるご両親、ご家族のお気持ちを思うと胸が潰れそうです。お亡くなりになられた多くの方のご冥福をお祈りするとともに、このような哀しみがふたたびおこらないことを祈るばかりです。