カナディアンライフ

カナディアンライフ働く母さん、カナダ子育て奮戦記 その38 By Yasuko Garlick(ガーリック康子)

あれから…(1)



あれから…(1)

    カナダに引っ越してきて、今年で9年目に入った。今思えば、常夏の東南アジアの国から、真冬のカナダに引っ越して来るとは、何と無謀な…。上の子が5歳、下の子がやっと3歳になったばかりの頃だった。そのまま、そこにずっと住んでいてもよかった。でも、子どもたちの学校のことを考えると、その後どうするか、いずれは決断しなければならない状況だった。

    私たちは、夫婦とも「在留外国人」として第三国に住んでいたわけだが、駐在員として派遣されていたわけではない。駐在員であれば、給与の他に、住居補助、学資補助、運転手付きの自家用車、お手伝いさんなど、会社が負担してくれる。もちろん現地校には通わないから、地元のインターナショナル・スクール(略して「インター」と呼ぶ)に通うことになる。

    ところが、我が家の場合、駐在とは全く関係なく、夫が現地人のパートナーと会社を設立していた。かっこ良く言えば会社経営。実は単なる自営業。当然、学費を含むすべての出費は自腹。当時、子どもたちはインターのプリスクールに通っていたが、上の子が小学校に上がる年齢が近づいていた。そこでは、インターの小学校の他に、日本人小学校という選択肢もあった。日本語を優先するか英語を優先するかにも迷ったが、将来的なことを考えると、多分、インターに入れていただろう。しかし、そこで困った。

あれから…(1)

    地元の物価に比べ、インターの学費はかなり高い。それは、先生たちの給与基準が地元の物価に合わせたものではなく、先生たちの本国の基準に合わせられていることにある。その給与を支払うために、学校はそれに合わせて学費を徴収することになる。会社からの学資補助があれば全く問題ないが、我が家の場合、会社といってもこちらの「スモール・ビジネス」規模の、しがない自営業である。一人分はなんとかなるが、二人分となるとかなり厳しい。はなから私立に通わせるつもりはなかったが、日本かカナダで公立に通えば、学費はタダである。

    夫には、高校時代に交換留学生として1年間日本に滞在し、その後、ワーキングホリデーで日本で働いた経験がある。しかし、3年で限界がきた。日本とカナダのどちらへ引っ越すかを考えた時、言語環境、生活環境、学習環境、夫にとっての労働環境など、諸々の事情を考えた末、夫の国であるカナダに引っ越すのが最も現実的だった。私にとっては、もちろん日本が一番楽だが、快適に生活できれば、住む場所にそれほどこだわりはない。幸い、英語を「生業」としているおかげで、とりあえず、言葉に困ることもなかった。

あれから…(1)    引っ越しを決定してから、夫はカナダでの仕事を探し始めた。運良く、BC州のバーナビーに仕事が見つかった。夫が先にカナダに戻り、住む場所を探し、上の子の学校にも目星をつけた。それが、年も押し迫った11月。私たちは、お正月過ぎまで約1ヶ月ほど日本に滞在し、日本経由でカナダ入り。カナダの市民権はあるが、子どもたちにとっては初めてのカナダ。BC州はカナダでは一番暖かいものの、気候も全く違う。上手く順応してくれるかどうか心配だったが、取り越し苦労に終わった。

    むしろ、順応するのに一番時間がかかったのは、私かも知れない。南国の気候に慣れてしまっていたので、なかなか身体がカナダの寒さに慣れなかった。結局慣れて来たのは、ふた冬を越えた頃だった。


Yasuko GarlickYasuko Garlick (ガーリック康子)

主に翻訳、通訳、チューターを生業とする2児(ティーンエイジャーとトゥィーン)の母。夫はカナダ人。 数カ国に滞在後、現在カナダ在住8年目に突入。
新しく始めたビジネスを軌道に乗せるため、邁進中。



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