カナディアンライフ

カナディアンライフ働く母さん、カナダ子育て奮戦記 その40 By Yasuko Garlick(ガーリック康子)

出来事のタイミング (1)



出来事のタイミング

(少し前から、文章にしなくてはと思っていた。しかし、まだあまり時間が経っていない。今もまだ狐につままれたようで、考えると目が潤んでくる。それでも、敢えて書こうと思う。)
    これまで、できる限り毎年、日本に一時帰国している。まだ子どもたちが小さい頃は、気候の良い春に、子どもたちが小学校に上がってからは、夏休みに帰国している。カナダと日本の夏休みの時期のずれを利用して、子どもたちは日本の小学校での「体験入学」も経験した。

    ところが去年、私の仕事との兼ね合いで、夏に帰る機会を逃してしまった。夏を逃すと、子どもたちを連れて一時帰国することにはかなり無理がある。3月に地震と津波が東日本を襲った後でもある。放射能の影響も、実情がわからないので心配である。しかし私としては、できれば年内に、母の様子を見に行きたい気持ちがあり、一人で帰ることにした。子どもたちを夫に任せて、一ヶ月ほど家を空けることに少し躊躇したが、背に腹は変えられない。11月始めの飛行機のチケットを予約した。ただ、チケットは予約したものの、再度、機会を逃す可能性があった。

出来事のタイミング    少し時間を遡ろう。一昨年から、義理の母の胃の調子が何となくおかしかった。もともと胃酸過多気味でよく胸焼けがしていたので、本人もそのせいだと思っていたようだ。一向に症状が改善しないうえ、体重も減ってきたため、精密検査を受けることになった。はっきり診断が出たのは、そろそろお天気が良くなり始めた初夏。膵臓に腫瘍が見つかった。もともと手術が難しい場所で、病状がかなり進行していたため、手術をしても回復の可能性はあまり高くない。手術をしないと、クリスマスまで持たないかもとの宣告。結局、緩和ケアを選択し、途中、持病の心臓の不調で一度入院したが、最後に入院するまで自宅療養していた。夏休みには、いつも通り遊びに行った。10月の感謝祭には、家族で集まり、一緒にディナーを食べた。

    その後、いよいよ病状が悪化し入院。暫く持ちこたえていたが、結局、私が日本行きを予定していた週の初めに息を引き取った。お葬式は一ヶ月後。私の日本行きの予定が少しでもずれていたら、私はその知らせを日本で聞いていたかも知れない。そう考えると、何か不思議な力が、私を引き止めたと思えて仕方がない。そう遠くないうちにその時が来ると覚悟はしていたが、現実になるとやはりショックだった。

出来事のタイミング    文化の違いに関係なく、上手くいかないところは上手くいかない「嫁」と「姑」。私は本当にいい「姑」に恵まれた。夫の母親ではあるが、私にとっては、二人目の「母」である。地理的な距離の近さから、実の母よりも会う機会が多かった。夫自身も忘れてしまっているような夫の子どもの頃の話や、私の知らない昔の話をしてくれた。義理の娘の私も含めて、子どもたちや孫たちの誕生日は絶対忘れず、必ずカードが送られて来た。すぐに会う予定がない時、孫たちにはプレゼントも一緒。近くの山で採ったブラックベリーや、庭のプラムなどで作ったジャムは、毎年お相伴にあずかった。家族が集まる感謝祭やクリスマスの、大きな七面鳥がメインのディナーの準備では、義母が「ボス」だった。

義母のお葬式の後には、クリスマスが控えていた。しかし、クリスマス・ディナーの準備を仕切っていた義母はいない。かといって、義父ひとりではとても手に負えない。そこで、家族で話し合い、子どもたちでディナーの準備をすることになった。誰が何を作るかの分担も決まった矢先、予想もしなかったことが起きた。
それは、義母のお葬式が終わってすぐのことだった。
(続く)


Yasuko GarlickYasuko Garlick (ガーリック康子)

主に翻訳、通訳、チューターを生業とする2児(ティーンエイジャーとトゥィーン)の母。夫はカナダ人。 数カ国に滞在後、現在カナダ在住8年目に突入。
新しく始めたビジネスを軌道に乗せるため、邁進中。



Top of page


1981-2012 Copyright (C) Japan Advertising Ltd. Canada Journal, All rights reserved.