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考え方を変えたら情熱が帰ってきた-- パトリック・チャン


 
Patrick Chan

“大会でメダルをとったときよりも、結果が悪かったときのほうがずっと多くを学べる。オリンピックが終わった後で、「なぜ自分がスケートしているんだろう?」って考え続けていたけど、これは間違った考え方だった。自分のためにスケートすることをせず、他人のためにスケートをしていたんだ。これに気がついたことの最大の利点は、またスケートに対する情熱が生まれたことだ”
パトリック・チャン/ Patrick Chan


1990年12月31日オンタリオ州オタワ生まれ。母は20歳の時に香港からカナダに移住。父は幼少時に香港からカナダに移住してきた元卓球選手で、現在はケベックでコーチをしている。特技はピアノ演奏。フランス語を第一言語とする高校を卒業したこと、家族の日常言語が広東語であったことから、フランス語、英語、広東語に堪能である。
2010年バンクーバーオリンピック5位。2011年、2012年と世界選手権2連覇。FSと総合得点のパーソナルベストは世界歴代最高得点。


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音楽は、自分なりに理解してもらいたい。-- ダイアナ・クラール


 
Diana Jean Krall

“聴いた音楽を、自分なりに理解して楽しめるのが、音楽のすばらしさだと思うわ。それぞれが自分なりに理解することが大切ね。自分が歌う曲を説明したらイマジネーションを奪ってしまう”
ダイアナ・クラール/ Diana Jean Krall


1964年11月16日生まれ。カナダの女性ジャズ・ピアニスト、歌手。1990年代以降に最も成功したジャズ歌手の一人。
BC州のナナイモに住む音楽一家に生まれ、四歳でピアノを習い始める。幼い頃に家族と一緒にバンクーバーに転居、高校の小さなジャズバンドで活動を始めた。15歳の時、ナナイモのレストランでピアノ演奏を始める。
17歳になってからはバンクーバー・インターナショナル・ジャズ・フェスティバルの奨学金を得て、ボストンにあるバークリー音楽大学に入学、卒業した。 バークリー音楽学院では、当時同級生に小曽根真がいた。
ナナイモでクラールの演奏を聞き興味を持った著名なベース演奏者、レイ・ブラウンと出会いロサンゼルスに行かないかと誘われる。それを承諾したクラールはロサンゼルスへと旅立ち、ピアニストのジミー・ロウレスと出会い、歌い始めた。ロサンゼルスでは、さまざまなミュージシャンからの影響を受けるとともに、プロデューサーとの出会いも経験することになる。1990年にはニューヨークへ転居している。
2003年12月にイギリス生まれのミュージシャン、エルヴィス・コステロと結婚。(ウィキペディア)


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