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  YAYOI カナダニュース  

マイムパフォーマーとして世界にその名を馳せるYAYOI

写真:Eddy Jalbert

シェークスピアに感動、マイムの世界へ
YAYOIさんの出身は宝塚歌劇団で有名な、兵庫県宝塚市。中学生の時は宝塚歌劇団に憧れたが、お気に入りのスターの引退と同時に興味は新劇へ。そして桐朋学園大学の演劇科に進学した。大学ではジャンルを問わず、あらゆる芸能アートを学んだ。そのなかの1つがマイムだった。高校生の時にロイヤル・シェークスピア劇団の『ウィンザーの陽気な女房たち』を観て感動した。全身で表現し、高校生にもわかりやすい舞台。そんな表現者になりたかった。大学卒業後はすぐに仲間とマイムを始めた。サラリーマンの父も母も猛反対だったが、譲らなかった。"パントマイム"という世間のイメージを脱し、複数で行うアンサンブル・マイムや、違うジャンルのアートとのコラボレーションなど、新しい世界も広げていった。そして同じマイム・アーティストの夫と結婚、活動しながら2児を育てた。多忙だった。

世界を駆け回り、多忙だった毎日
初めてカナダへ来たのは1986年の万博だ。日本パビリオンでマイムを演じた。その後、89年には文化庁の在外研修でドイツに8ヵ月、カナダ中央部の都市エドモントンに3ヵ月滞在。そのエドモントンで開かれる、カナダ最大級の芸能アートの祭典『Fringe Festival』に飛び入り参加した。帰国後、マイムの普及・確立を目指して"THEATRE MOVEMENT"を設立した。離婚を経て新たな人生を歩むことになった弥生さんは、その後、国内での活動の合間にヨーロッパなどへもツアーに行き、2001年には再びカナダツアーを組んだ。バンクーバーでの宿泊した先が、現在の夫の自宅だった。翌年6月に再度渡加、9月に結婚した。

辛い闘病生活にも負けずに舞台へ
その頃から胸にしこりがあることに気付いていた。年齢的なものだろうと楽観視していたが、検査で乳がんだと判明し、病巣部分とリンパ腺を除去する手術を受けた。化学療法は拒否して、自然食などで治療しようと試みたが、1年後に再発。すでに腫瘍は11センチにも成長し、手術もできなくなっていた。辛い抗がん剤治療が始まった。3週間に1回、点滴で抗がん剤投与を受ける。白血球が激減するため、ひじょうに疲れやすい。吐き気や痺れなどの副作用も辛かった。髪だけでなく、眉毛もまつ毛も体毛も、すべて抜け落ちた。それでも、投与の合間の比較的動ける時に、マイム活動を続けた。髪が抜け落ちた頭を利用して、坊主役やボディペイントでのショーにも出演した。半年ほどの抗がん剤治療とそれに続く放射線治療が効果を発揮し、がんは1センチまでに小さくなった。

命への感謝の気持ちを込めて
「やはり乳房切除術を受けた方が良い」と、担当医に言われ、昨年10月、切除と再建の同時手術を受けた。やっとがんの痛みも消えた。入院・手術を含める、治療費のほぼ全額にBC州の健康保険が適用された。これが日本だったら、がんの悩みに加え、治療費の捻出にも頭を痛ませねばならなかったところだ。ただ、バンクーバーでは乳がんの専門外科医が不足しているという。今年の10月で闘病丸3周年。治療費を賄ってくれたBC州への感謝の気持ちと命への感謝の気持ち。そして、弥生さんの担当医で、乳房切除手術の権威でもあった故クラグストン医師に続く専門医を育成する機関を、ブリティッシュコロンビア大学病院に設立するため、チャリティー公演を企画した。

人生の春夏秋冬をを表現したマイム『四季』
公演テーマは、セレブレーション・オブ・ライフ『四季』。弥生さん自作の木彫りの能面を使い、伝統的な能の作品群から『羽衣』『班女(はんじょ)』『砧』『卒塔婆小町』の4つを春夏秋冬に当て、それぞれ少女・女・中年の女・老婆の人生に当てはめて演じる。
ダウンタウン近くの静かで落ち着いた自宅では、公演に向けた準備が忙しく進められている。衣装も面も手作り。衣装の素材にはインド製の生地を使い、木彫りの面にはイエローシダー(カナダヒノキ)と、こちらで手に入るもので工夫する。演じるマイムも、すべて弥生さんが一人で構想から企画、演出まで行う。「のんびりしたバンクーバーの生活が気に入っている」という弥生さん。これからもバンクーバーを拠点に活動する予定で、すでに年明けに遠征の仕事が入っている。チャリティー公演も続けていきたいと語り、「自分が呼び水となり、日系社会の助成活動にも活気が出れば」と願っている。

YAYOI
本名・平野弥生。兵庫県宝塚市出身。桐朋学園大学演劇科卒業と同時にマイム活動開始。89年、文化庁の在外研修員としてドイツとカナダで研修。帰国後YAYOI THEATRE MOVEMENTを設立。以降、毎年世界各地のフェスティバルに出演し続け、その活動範囲は13カ国28都市に及ぶ。ジャズの日野皓正など、国境とジャンルを越えた共同制作も数多く展開。95年からは能面の製作も始め、その高度なテクニックとユニークな発想、豊かな表現力で、国内外から「天才的ソリスト」と絶賛されている。
ウェブ: http://www.yayoihirano.com