スタディ - 留学・英会話
My Experience

海を渡った中学生

小高  亜沙 さん
小高  亜沙 さん
(こたかあずさ) 15歳

Matthew McNair Secondary School
10年生


将来は同時通訳になりたい

小高亜沙さんは、BC州リッチモンド市にあるマシューマックネア・セカンダリースクールの10年生。笑顔にあどけなさが残る小高さんは、日本にいたら中学3年生。留学を始めた時はまだ13歳になったばかりだった。




英語教育に熱心な母

 小高さんは「子供には将来英語で苦労させたくない」という母の願いで、幼稚園の頃から英語教室に通った。
小学校高学年になる頃には高校で習う英語同様のレベルにまで達したが、同時に、問題の難易度も高くなった。「いつも塾で出されるプリントが最後までできなくて、教室で泣いたこともあります」。
それでも、「英語をやめたい」と言わなかった。むしろ「英語を話せるようになりたい」といつしか思うようになっていった。


初めてのホームステイ

写真

 小学3年生の時、通っていた小学校にカナダからの体験入学者がやって来た。彼女と親交を深めたのがきっかけで、夏休みにその人の家でホームステイさせてもらえることになった。海外旅行へはこれまでも家族旅行で何度か出かけていたが、カナダへ行くのは一人きり。 「楽しさだけが先にたち、心配とか怖い気持ちは全然なかったです」。
当時まだ9歳、無邪気さが一人で海外へ行く不安を感じさせなかった。
「見るもの聞くもの全てが新鮮でした。時々英語で話しかけられてパニックになったりもしました」。
家族と離れて過したホームステイで、今までは味わったことのない普段着の海外生活を体験した。
そして翌年の夏も、また一人ホームステイへと出かけた。


3ヵ月だけの中学生活

 小学6年生の夏休みには、母と弟の3人でハワイへ親子留学をした。
海外での暮らしは、母の憧れでもあった。いずれは長期での留学を考え、下見も兼ねて訪れたハワイだった。しかし、短期とはいえ1ヵ月以上家族が離れたことで、一人日本に残った父親が音を上げ、長期の親子留学計画は白紙に戻った。
帰国後「せめて娘だけでも留学させてやりたい」と、母親は留学の下調べや準備を進めた。
そして翌年の4月、真新しい中学の制服に袖を通す小高さんは、母から、「日本の中学に通うのは3ヵ月だけ、6月末からはカナダへ留学する」と聞かされた。
母の言葉に驚き、戸惑ったが、時間とともに留学への意志が固まった。何より「英語を話せるようになりたい」という気持ちが勝った。そして周りが驚くなかで、小高さんは夏休みを待たずして再びカナダの地を踏んでいた。


学校のオープンな雰囲気にびっくり

 多くの留学生同様に、小高さんも夏休み中は現地のサマースクールで学んだ。
しかし、同級生の留学生達はほとんどが中国人で驚いた。留学先の学校があるリッチモンド市は中国系移民が多い。
「淋しくて、授業以外は楽しくなかった」。
友人が出来ない孤独感からホームシックになったという。
しかしサマースクールが終了して新学期が始まると一転した。
持ち前の明るく活発な性格から友人が増えていった。
髪形や服装は自由、化粧も当たり前。中学、高校が一貫しているカナダの学校で生徒達は大人びて見えた。慣れるまでそのオープンな雰囲気に度々驚かされた。
「受験を控えた日本の友達は(カナダの自由な学校生活を)羨ましがるけど、それだけじゃないって知ると留学には尻込みする人もいる」。
自由な一方で成績が悪ければ容赦なく落第もある。受験はないが、勉強には気が抜けない。


課題は日本語との両立

 小さい頃から英語を学んできたため、英語の吸収力は早かった。入学したての頃こそ、校内放送を聞き取れず失敗もあったが、今では英語の不自由はない。「最初の1年がちょっと大変。でも、1年を乗り越えるとあとはすんなりいく」。英語には自信がついた。反面、国語の遅れが気になった。
小高さんは、持参した国語のドリルで勉強したり本を読むようにして、日本語の維持に努めている。それでも日本の中学の授業に戻るには、相当な努力が必要だ。
そのため当初は1年だけ中学に留学する予定だったが、このままカナダに残って高校に入り卒業するまで留学することに決めた。
「将来は同時通訳になりたい」。 力強く夢を語る言葉に、15歳とは思えないたくましさを感じさせられた。



Top of page