日本食レストラン「暖」オーナーシェフ 洗練されたカフェやブティックが並ぶバンクーバーの目抜き通りブロードウェイに、日本食レストラン「暖(DAN)」がある。ロフトになった店内には、天井から「暖」の文字を染めた大きな暖簾(のれん)が下がり、白熱灯の明かりに照らされた黒塗りの木製テーブルと椅子が温もりを感じさせる居酒屋風のレストランだ。 昨年12月にオープンした「暖」はオーナーシェフ・小田賢一さんと妻のとも子さんのお店。賢一さんは大学生の頃、京都で懐石料理や無国籍料理の店でアルバイトとして働き、大学が休みになると日本各地をバイクで駆け回っていた。「いつか海外に行きたい」という漠然とした思いを感じ始めたのはこの頃からだ。大学では経営学を学んで証券会社に内定を得たものの、外国に行くことを考えて、それまでなじんできた飲食業界でキッチン・ヘルパーとして働き続けた。 賢一さんは、1992年にワーキング・ホリデー・ビザでバンクーバーにやって来た。2ヵ月語学学校に通った後でキノコの加工工場でアルバイトを始め、上司から信頼を得て、アメリカへの買い付けの仕事なども担当するようになった。しばらくその仕事を続けた後、アルバイト先を日本食レストランに切り替えた。昼と夜とで別々の店を掛け持ちして働いていたが、そのうちの一軒が新たに店を開くという時に、賢一さんは調理長に任じられ、カナダでの労働ビザも店のオーナーが申請してくれることになった。 その後に勤めたレストランのスタッフの間ではゴルフがはやっており賢一さんも仲間に加わったが、同時期にゴルフを始めた同僚のとも子さんと一緒にコースを回るうちに、お互いの気持ちが通じ合うようになっていった。とも子さんはワーキング・ホリデー・ビザでの滞在だったが、以前にもバンクーバーやアメリカに語学留学し、オーストラリアでのワーキング・ホリデーも経験していたため、外国に永住することにも抵抗がなかった。 賢一さんは、最後の勤め先となった飲食店に就職した際「ここで働くのは3年間。その後は独立する」と心に決めた。店をもつと決めた時、とも子さんも大いに賛成した。何でも行動しながら考えるのが2人のスタイルだ。レストラン勤めの傍ら、将来もつ店の場所探しを始めて間もなく、2人は自分たちの好みに合った店舗が売りに出ているのを知った。しかし、先約者がいることを知って断念。だが、お気に入りの店があきらめきれず、何度もその店を訪れては眺めていた。すると1年半後、その店が再び売りに出されるという情報を得て、2人は喜び勇んで購入することにした。
現在「暖」は、地元の人達に良く知ってもらい経営を軌道に乗せるためにと、祝日以外は年中無休で営業している。お互い思ったことを何でも言い合う小田夫妻は、夜、帰宅後に口論することもしばしばだが、眠さが勝ってけんかも続かないというほど、2人とも仕事に全力投球している。 厨房に立つ賢一さんは、「あまり手をかけすぎない素材その物のおいしさを味わってほしい」と願う。しっかりと基本的なメニューを作った延長線上に自分たちのオリジナリティがあると考え、流行の和洋折衷の目新しいメニューからは一歩距離を置いている。かと言って料理に使うソースやダシはすべて自家製で、素材のうまみを大事にしながら作り上げている。 仕事で英語を使ってきた賢一さんに言葉のハンデは感じられない。「ここでは日本人であることが特別。自分たちのバックグラウンドを強みとして生かしていけるのでは」。まさにその強みを日本食という分野で生かしてきた賢一さん。 |
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