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歴史の授業で世界観が変わった。
村瀬伸太郎(むらせしんたろう)君
BC州ラングレー市D.W. Poppy Secondary Schoolを2002年に卒業。現在ダグラス・カレッジ在学中、20歳。

村瀬君が留学を意識し始めたのは中学2年、14歳の時だ。村瀬君は中学時代の春休みに、10日間のカナダ滞在と高校体験入学を経験した。日本とはまるで異なる文化のなかで、生まれて初めて肌の色の違う人とコミュニケーションする機会をもち、見るもの聞くものすべてが新鮮に感じられた。

中学卒業後、日本の高校に進学した村瀬君の頭のなかにはつねに留学への思いがよぎっていたが、なかなか留学に踏み切れずにいた。
高校生活も2年目にさしかかった頃、村瀬君は自分の考えに決着をつけた。
「留学してもしなくても、自分へのメリットとデメリットは出てくるだろう。それならば純粋に毎日が面白いと思われる方を選択しよう」。
そう考えて留学を決意した。両親も村瀬君の考えを受け入れてくれ、準備を進めてくれた。

決心してから3ヵ月ほどでカナダへの高校留学が実現。2000年の9月に、BC州ラングレー市にあるD.W. Poppy校に11年生(日本の高校2年にあたる)として編入した。 登校初日、広い敷地をぜいたくに使って建てられた校舎に足を踏み入れると、校内には朝食の残り香と思われるパンの匂いが至るところに漂っていた。このことだけでも日本との文化の違いを感じた村瀬君だったが、校内の廊下の壁に一見いたずら書きと思えるような絵が描かれていて、校則違反ではないかと思ったところ、美術部員の手による学校のシンボルともいえる存在であると知ったことは大きな驚きだった。

学校では留学生が珍しいとあって、生徒のなかには村瀬君をじろじろと見つめたりからかってくる生徒もいた。だが村瀬君はそうしたことにはかまわずに、休みの時間になるとポータブルCDプレーヤーを持ち歩き、耳にイヤホンをつけて、パンク・ロックの曲を大音量で聴いて自分の趣味をそれとなく主張していた。すると外に漏れている音を聞いて、「君、パンク・ロック好きなの?」と声をかけてくる生徒がちらほらと現れてきた。こうして友達も少しずつできていった。

ホームステイ先のホスト・ファミリーは、すでに二人の子供を成人・独立させた、とても明るく優しい夫婦で、村瀬君に対して子供としてではなく、一人の人間として接してくれた。
この家では、土曜の夜になると、一緒に映画を見に行くことがお決まりの楽しみ方だった。カナダの食事が合わず、村瀬君の体の調子の悪い時には、ホスト・マザーとホスト・ファーザーが米を買いに行ってくれたり、日本料理を作ってくれたりと、村瀬君にとって少しでも楽になるように気遣ってくれた。
そうした恵まれた生活環境のおかげで、村瀬君は一度もホームシックになることなく高校の留学生活を送ることができた。

英語を幼稚園から習い始めていた村瀬君にとって、英語は得意中の得意。留学では会話だけに止まらず、読み書きの能力も着実に高めたいと思った。「赤ちゃんが読み書きを覚えるのは、絵本を読んでもらったり、自分から本を読み始めるため」と考えた村瀬君は、それに習って自分でも読書を始めた。最初の1年だけで12冊の本を読破したことで、読み書きの技術が高まり、それにつれて会話表現の質も高まっていった。

学校で出された課題で最も大変だったのは美術の作品作りだ。画家として活動中の美術の先生は、美術大学進学希望者が半数を占めるクラスに対して絵を20枚描くように指示した。
それは美術大学の入学に、その程度の数の作品の提示が求められることと、量を描くことが技術向上に直結するとの考えからのようだった。絵画制作が得意な村瀬君ではあったが、さすがに量が多すぎてアイディアも尽きてしまい、最後にはだれも知らないようなアーティストの音楽CDのジャケットを模写するという苦肉の策でその課題をやりこなした。

村瀬君の価値観に影響を与えたのは歴史の授業だ。世界史観がそれまで日本で知っていた姿と異なっていること、そして特に日本に対する見方が自分の見方とはまったく違っていることには驚かされた。
「アジア諸国は当時植民地と見られていたが、アジアのなかで唯一強豪国にのし上った日本という国を、欧州、北米諸国が不気味がっていた。戦前の反日感情はそこから生まれた」というような日本観に始めて接したからだ。
しかし、歴史の先生が親日家で、その先生との交流を通じて今までとは違った角度から世界を眺めることに気がついた村瀬君は、留学開始時から抱き続けていた劣等感からも抜け出し、そのままの自分を肯定できるようになった。それからはカナダの文化に溶け込み、カナダのティーン・エイジャーと同じように振舞おうという気負いがなくなった。それはまるで肩に担いでいた岩を下ろしたような気分だった。日本の常識で日本人らしく振舞うことが、自分には最も自然だと感じられるようになったのだ。

また、今までは何事にも批判的な見方をしがちだったのが、自分の感情を率直に表現できることの素晴らしさを感じると同時に、周りに対しても寛容な見方ができるようになってきた。それに加えて物事の道理が少しは分かるようになってきたとも思っている。
村瀬君の心に刻まれているのは歴史の先生が語った「歴史はその国の物語」という言葉だ。村瀬君の人生のストーリーのなかでは、カナダが大きな人間成長の舞台となっているようだ。

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