村瀬君が留学を意識し始めたのは中学2年、14歳の時だ。村瀬君は中学時代の春休みに、10日間のカナダ滞在と高校体験入学を経験した。日本とはまるで異なる文化のなかで、生まれて初めて肌の色の違う人とコミュニケーションする機会をもち、見るもの聞くものすべてが新鮮に感じられた。 中学卒業後、日本の高校に進学した村瀬君の頭のなかにはつねに留学への思いがよぎっていたが、なかなか留学に踏み切れずにいた。 決心してから3ヵ月ほどでカナダへの高校留学が実現。2000年の9月に、BC州ラングレー市にあるD.W. Poppy校に11年生(日本の高校2年にあたる)として編入した。 登校初日、広い敷地をぜいたくに使って建てられた校舎に足を踏み入れると、校内には朝食の残り香と思われるパンの匂いが至るところに漂っていた。このことだけでも日本との文化の違いを感じた村瀬君だったが、校内の廊下の壁に一見いたずら書きと思えるような絵が描かれていて、校則違反ではないかと思ったところ、美術部員の手による学校のシンボルともいえる存在であると知ったことは大きな驚きだった。 学校では留学生が珍しいとあって、生徒のなかには村瀬君をじろじろと見つめたりからかってくる生徒もいた。だが村瀬君はそうしたことにはかまわずに、休みの時間になるとポータブルCDプレーヤーを持ち歩き、耳にイヤホンをつけて、パンク・ロックの曲を大音量で聴いて自分の趣味をそれとなく主張していた。すると外に漏れている音を聞いて、「君、パンク・ロック好きなの?」と声をかけてくる生徒がちらほらと現れてきた。こうして友達も少しずつできていった。 ホームステイ先のホスト・ファミリーは、すでに二人の子供を成人・独立させた、とても明るく優しい夫婦で、村瀬君に対して子供としてではなく、一人の人間として接してくれた。 英語を幼稚園から習い始めていた村瀬君にとって、英語は得意中の得意。留学では会話だけに止まらず、読み書きの能力も着実に高めたいと思った。「赤ちゃんが読み書きを覚えるのは、絵本を読んでもらったり、自分から本を読み始めるため」と考えた村瀬君は、それに習って自分でも読書を始めた。最初の1年だけで12冊の本を読破したことで、読み書きの技術が高まり、それにつれて会話表現の質も高まっていった。 学校で出された課題で最も大変だったのは美術の作品作りだ。画家として活動中の美術の先生は、美術大学進学希望者が半数を占めるクラスに対して絵を20枚描くように指示した。
村瀬君の価値観に影響を与えたのは歴史の授業だ。世界史観がそれまで日本で知っていた姿と異なっていること、そして特に日本に対する見方が自分の見方とはまったく違っていることには驚かされた。 また、今までは何事にも批判的な見方をしがちだったのが、自分の感情を率直に表現できることの素晴らしさを感じると同時に、周りに対しても寛容な見方ができるようになってきた。それに加えて物事の道理が少しは分かるようになってきたとも思っている。
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