ライフ - 連載コラム記事


西田 優希さん 

西田 優希

大阪府岸和田市生まれ。関西大学文学部卒業。OL生活に物足りなさを感じて1999年にニューヨークへダンス留学。現在は、英会話講師をしている。趣味は映画鑑賞。

私は、ニューヨークに
ダンス留学した。

 「ニューヨークにダンス留学」と聞くと、幼い頃からレッスンを積んできて、日本では物足りなくなってニューヨーク へ、 とイメージする人が多いかもしれない。 しかし、私がダンスと出会ったのは、大学卒業直後の23歳を目前に控えた頃だった。よくある「OLのアフター5の習い事」で、友人に誘われてなんとなくジャズダンスを習い始めたのに過ぎない。同時に私は、以前から漠然とした夢をもっていた。それは、 「いつか海外留学してみたい」 という夢だった。

 さて、ダンスを始めた私は、異常なほどにダンスにのめりこんでしまった。そうなった時に、私はふと気が付いたのだ。「海外留学したらダンスが続けられない!!」 でも、「留学してみたい」、という気持ちだって捨てきれない。私は かなり悩んだ。毎日悩んで、それでも考えは堂々巡りするだけ・・・。 そんなある日ふと思ったのだ。 「ダンスで留学したら?」 なんと言う名案だろう!私の好きなことと夢が同時に手に入るではないか! こうして安易な思いつきで、 私は「いつかダンス留学するぞ」と誓ったのだった。


 私はまずニューヨークに下見に行くことにした。10日間ほどで7つの学校を見学し、なかでも一番小さなバレエ学校に入学することにした。学校の名前は、ニューヨークコンサーバトリー・オブ・ダンス。なんと言っても授業料が群を抜いて安かったことが決め手だった。

 一旦帰国して準備万端整え、再度ニューヨークにもどったのはそれから7ヵ月後。 バレエなんてしたこともなかったが、「見よう見まねで何とかなるだろう」、とこれまた安易に考えていた。ところが、案の定、バレエはそんな甘いものではなかった。私としては、何とかこなしているつもりなのだが、先生の目はごまかせない。また、バレエのレッスンには世界共通のバレエ用語が飛び交うが、私はそんなバレエ用語さえも知らなかった。しかも、せっかく先生がそれを説明してくれても、その英語がわからない・・・。 意気揚々として入学したものの、初日から一気に意気消沈。こうして私のニューヨークダンス留学生活は幕を開けたのだった。(続く)


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