スタディ - 留学・英会話
【最終回】

いま留学を振り返る
刺激的で充実した世界


UCLAline
私がアメリカの地を踏んでから、もうすぐ4年になる。
小中高と全く勉強していなかった私は、留学してからというもの相当苦労した。
中学時代、あまりにも成績が悪すぎて普通レベルの塾の入塾試験に落ちたり、中学3年の初めに受けた模試では地域最下位の公立高校の判定がDだったりと、落第生を絵に描いたような存在だった。
結局、普通入試で国立大に入る人が一人もいないという地域で下から2番目の公立高校に入学、毎日辞めたいと思いながら過ごした。その高校でも成績はクラスワースト3を常にキープしていた。かといって何か勉強以外に打ち込んでいるわけでもなく、毎日が意味のない退廃した生活だった。 髪を染め、ピアスをし、教師からは目を付けられ、高校生活が全く面白くなかった。全てが空虚だった。

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高1の終わり頃、「アメリカに行けば今の高校を辞められる」という不純な動機で英会話を習い始めた。結局は高校でのアメリカ行きは断念したが、その後も英語の勉強は続け、高3の夏に留学を決意した。卒業前の3ヵ月はそれなりに勉強して、TOEFLで510点を取り、高校卒業後アメリカに渡った。

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留学する時に一つのことを決意した。
「私は他の人よりも圧倒的に今までの勉強量が劣っており、この差を埋め、追い越すには、これから死に物狂いで誰よりも勉強するしかない。結果は二の次にして、とりあえず量をこなそう。勉強量だけは誰にも負けない」と。
それまで真剣に勉強した経験が皆無だった私には、質の追求などは不可能であり、ならば量を追求するしかなかった。

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そして留学して最初の2年、とにかく量を追及し、文字通り四六時中勉強した。しかしそのために様々なものを犠牲にした。
最初の1年、友達は台湾人の女の子2人を除いて、ほとんどいなかった。
その2人が2年目の始めに台湾に帰ってしまってからは、親しい友人は一人もいなかった。常に一人で勉強していた。週末など、人と話すことすらほとんどなかった。 孤独だった。

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2年目の夏、7週間インドを旅し、全く新たな世界に触れた。衝撃だった。今までの価値観が揺らいだ。

多くの犠牲もあったが、そのお陰であの万年落第生だった私が良い成績を取れ、大学で英語チューターまでやらせてもらえ、無事UCLAに編入した。

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UCLAではそれまでに比べ、はるかに社交的・活動的な生活を送るようになった。様々な出会いがあり、多くの尊敬できる友人が出来、そんな環境の中で、自分のやりたいことを形にするためにもがいた。
とにかく勉強した。本を一日一冊読んだりもした。世界を広げるため、ただ貪欲に知識を求めた。そして経験を求めた。思索を重ねた。

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ふとした出会いから、東京で著名な学生団体の代表を務める活動的な学生たちと知り合った。そしてプロジェクトの立ち上げに誘われ、「宇宙開発と国際協力の融合事業」という全く未知の分野に乗り出した。 その活動を通じて、また様々な新しい出会いがあり、刺激的な経験ができた。世界が広がった。

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私の将来の目標は何かと聞かれれば、「<ビジネス>と<積極的・主体的・効率的な社会貢献>を両立する起業家となり、様々な社会問題の解決・改善に持続的にコミットすること」と今なら答えるだろう。 この目標を具現化するために、何をすればいいか。 プロジェクトに参加することを通じて、自分の経験・知識のなさが、限界を作っていることに気づいた。 その限界をなくしたい。

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この3年半で、私の住む世界は一変し、その新しい世界は時に大変だ。しかし、その世界はそんなことは苦にならないほどに刺激的で、充実感を与えてくれる。
あの時英会話を始めようと、もしくは留学しようと決断していなかったら、今頃は全く別の世界にいるのだろう。 こんな充実した毎日は、到底送れていないだろう。
4年前の自分と今の自分、そこには実感が沸かないほどの隔絶がある。それは成長と呼んで良いのだろう。その成長は私に更なるチャレンジを実行するための自信を与えてくれた。 より刺激的な毎日を求めて、これからもより精進していこうと思う。 ベクトルさえしっかりと持って進んでいけば、どうにかなる、いや、どうにかできると信じて。

 


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