スタディ - 留学・英会話
My Experience

海を渡った高校生

若梅 健さん
若梅 健 さん
(わかうめけん)写真左

Heritage Woods Secondary School 11年生


カナダでスタートする高校生活

森と湖、そして海に囲まれた自然豊かなBC州ポートムーディー市。 若梅さんは2004年に開校したばかりのヘリテージ・ウッズ・セカンダリー・スクールの11年生だ。中学時代は志望校を目指して塾通いの日々だったが、一転してカナダへ留学。そこにはどんな道程があったのだろう。


志望校の変更

 若梅さんはコンピューターでオンラインゲームを楽しむ小学生だった。中学生になると他の同級生らと同様に高校受験のために塾へ通うようになった。当初の志望校は都立の工業高校。技術系に興味をもっていたためだ。 しかし、将来大学への進学を希望するのであれば普通科のほうが有利と、塾や学校の教師達からのアドバイスで志望校を普通科へと変更。塾の講師からはさらに偏差値の高い私立の進学校を薦められたが、経済的な面や家庭の事情を考慮して都立の普通科を受験、そして無事合格した。


3日間だけの高校生活

ヘリテージ・ウッズ・セカンダリー・スクール

 待望の高校生活が始まるとすぐに、若梅さんは違和感をおぼえた。「この学校に入ったのは間違いだったのではないか?と強く感じたんです」。
自分が他の生徒たちとはタイプが違い、馴染めないことを強く実感したのだ。 そして、わずか4日目にして高校へ通うのを止めてしまった。  
母親や担任教師もそんな若梅さんに対して、無理に学校へ行かせようとはしなかった。むしろ、周囲は暖かく見守り理解を示してくれた。「自分の将来を考えて、自分で生きていけるようにするなら、やりたいことをやっても良い」と母親は寛容だった。
学校へ行くのを止めてからの若梅さんはアルバイトに明け暮れ、その間、これからどうするか考え続けた。しかし、社会に出てみてわかったことは「中卒では何もできない。とにかく前へ進まなければ何もならない」ということだった。


「前へ、でも一体どこへ?」

 今後のことについて教師、母親と3人で何度も話し合った。
高校では休校扱いをしていてくれたため、復学は可能だった。しかし若梅さんにとって復学という選択肢はなかった。他の高校への転校も考えたが、現在の日本の教育制度では転校が容易でないことから断念。
混沌とした思いのなかを新たな道へ導いたのが英語だった。
オンラインゲームで知り合った世界中の人たち。彼らとのチャットを通じて培った英語力、そして趣味の洋画鑑賞。そしていつしか進路の視点が日本から海外へと移っていった。
未来を模索するうちにたどり着いたのが「留学」という答えだったのだ。

 それから留学へ向けての準備が慌しく始まった。 留学先にカナダを選んだのは、英語圏で平和な国、そして自然が豊か、という漠然としたイメージが都会育ちの若梅さんにとって魅力的に映ったからだ。 2006年春、入学許可書やビザの到着が遅れたためやきもきさせられたが、なんとか無事に来加へとこぎつけた。
出国前には2歳の時に別れたきりの父親とも対面。「頑張ってこい」と父は息子にエールを送った。


未来に向かって

 2006年9月カナダでの高校生活が始まった。若梅さんにとって2度目の高校入学だ。
カナダの高校は、失望感を与えなかった。
「カナダの学校は日本のような堅苦しさがなく、授業中や先生とのやり取りでも楽しめる。それでいて、しっかり勉強させられる(笑)」。見るもの聞くもの全てが刺激的だった。友人もたくさんできた。白人、アジア人、カナディアン、移住者、留学生。様々な人種やバックグラウンドをもつ友人たちに囲まれて、ようやく若梅さんにとって本当の高校生活が始まった。 中学時代には女手一つで育ててくれた母を思い、将来は安定した公務員になりたいと考えていた。しかし今では「できれば、パイロットになりたい」と新たな夢が膨らむ。
「母には本当に心配かけたし、迷惑もかけた。(自分のために)頑張ってくれた母の気持ちにいつか応えたい」と けれんのない瞳で語った。


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