ライフ - 連載コラム記事
カナダに住む(Live in Canada)

教師生活に別れを告げ、新たな人生へ



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西澤 律子さん
(にしざわりつこ)

学生・エッセイスト/長崎県長崎市出身

文部省の研修制度でカナダ留学

 長崎市内の公立中学校で英語教師をしていた西澤律子さんが、文部省による海外研修制度を利用してバンクーバーへ留学したのは、2005年の6月だった。教師歴十数年。新任だった頃の情熱が失せてきたことへの自問自答、自分自身の英語力への未熟さを感じての渡航だった。

 教育熱心な両親の薦めで西澤さんは、幼い頃から英会話教室へも通った。他の習い事はどれも続かなかったが、英会話だけは性に合い、遊びや劇などを通して体で英語を学ぶラボは中学卒業まで通い続けた。そんな小中学校時代に、灰谷健次郎の名作『兎の目』を読んで感銘を受け、西澤さんは将来の目標を教師と決めた。


豪州での感動を
生徒に伝えたい!


  進学した短大では、専攻が英文科だったため教壇に立ちたければ英語教師を選択するしかなかった。短大を卒業後、教員試験にも合格したが、「まだこのままでは教師になるわけにはいかない」と、西澤さんはアルバイトで資金を貯め、オーストラリアにひとり旅立った。
当初はオーストラリアを一周するつもりだったが、資金不足のため1/4を周るにとどまり、オーストラリアの広さを知った。しかし、3ヵ月間の旅の間、多くの人と出逢い、真っ白だったアドレス帳がびっしりと文字で埋まった。 旅を終え、空港でアドレス帳を見ながら3ヵ月間を思い返し「この感動を生徒に伝えたい」と、希望に奮えた。

 熱い気持ちのまま帰国して教壇に立った。生徒たちに写真を見せ、「英語を勉強していると、こんな素敵なことがある」と熱弁した。理想を追い、自分のもち得るもの全てをぶつける教師生活は、楽しくもあり充実していた。しかし見たくない自分の姿も見なくてはいけない。生徒は自分の鏡。毎晩ベッドで反省ばかりしていた。そしていつしか行き詰まっている自分がいた。「このままではいけない」。生徒に与える情熱を充填すべく、再び海外へ出ることにした。


バンクーバーで発見した自分


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ボランティアで訪れた小学校で生徒たちと(中央)

  バンクーバーの留学では10カ月ESLへ通い、仕上げにTESLを学び、その経験を再び現場に生かすつもりであった。 しかしTESLの授業では自分の英語力に愕然とし、課題やプログラムの厳しさに泣きながら取り組んだ。車でカナダ横断を決行した時は、多くの出逢いや別れ、そして感動を得た。日本の常識が通じず戸惑うこともあったが、西澤さんは、英語以上に大きなものを留学で学んだと語る。「この国では、自然に互いをシェアしている。他者の成功や幸せを妬むことなく、心から喜ぶ土壌がある。誰も私を苗字で呼ばず、年齢も様々でしがらみもない。自分はただの『リツコ』という人間」。開放感と同時に、まだまだバンクーバーでやりたいことがあると気づいた留学の延長を決めた西澤さんは、 長崎の教育委員会に留学の延長申請をした。しかし、申請は受理されず、替わりに4月からの職場復帰を促す通知が届いた。悩みに悩んで出した結論は、退職だった。安定した公務員の座を捨てることに、家族もや友人たちも皆反対した。「結果は問題ではではない。トライすることに価値がある。人生はまだ半分。教師以外の世界も見てみたい」と、周囲を説き伏せた。成功の確信があったわけではない。ただ得体の知れないエネルギーだけがあった。 自費留学で長期滞在を踏まえ、学生ビザは働くことが可能なCO-OPビザ(*受講科目と関係する職に就ける)に変更した。住まいも節約のために、管理人として無料で住めるところを見つけた。



そして新しい自分へ

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カナダ横断旅行の途中、広大な大地に感激して

  正式に辞職したことで踏ん切りがついた西澤さんは今、夢に向かって歩んでいる真っ最中だ。留学生たちの食の貧しさに、「もっと栄養のあるおいしいものを食べさせたい」と、現在受講しているホスピタリティーのフード部門の一環として、新しい形のフードビジネスを立ち上げる準備を進める。そして「海外で物を書きながら暮らす」というもうひとつの夢も、実現させつつある。日本にいる友人たちへの手紙代わりに書き始めたブログが人気を呼び、それがきっかけで、大手留学雑誌の取材とウェブでの連載エッセーが決まったのだ。「これから自分がどうなるのか、すごく楽しみ」。新たな人生の幕開けである。

【西澤さんの連載エッセー】http://www.alc.co.jp/sabrd/can/nishizawa/index.html
【西澤さんのブログ】http://blog.livedoor.jp/footprint520/



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