連載コラム記事
  ワーキング・ホリデー追跡日記 ことばと

 

 

和田 典子(わだ・のりこ)

横浜市出身、1970年生まれ。上智大学文学部史学科卒。出版取次会社、弁護士事務所、外資系銀行等勤務を経て、2003年夏よりカナダ・バンクーバーへ留学。現在、サイモン・フレイザー大学(SFU)で通訳者養成講座を受講中。趣味は料理と、紅茶を片手に時代劇(和物・洋物問わず)を見ること。

翻訳者は反逆者?
映画に描かれた通訳者像にヒヤリ

少し前の話になるが、現代日本を舞台にしたアメリカ映画の新作が公開されたというので、さっそく通訳講座の同級生と一緒に見に行った。
ソフィア・コッポラ監督の「Lost in Translation」
オール日本ロケで撮られてはいるが、物語はアメリカ人の視点から語られる。それを海外に住む日本人として見るというのは、何とも不思議な感覚だった。 一口で言うと、日本という異文化に遭遇したアメリカ人の孤独とコミュニケーション不全を描いた映画だ。その日本解釈にはうなずける点もあれば、はてな?と疑問に思う点もあり、外から見た日本の姿としてひじょうに興味深かったが、私は楽しむというよりも、おそらく一般の観客が抱くのとは少し違った意味で身につまされてしまった。というのも、映画のなかで悪質な通訳者が重要な役回りを演じているからだ。

中年のアメリカ人俳優ボブ(ビル・マーレイ)は、日本の洋酒メーカーのCMを撮影するために東京へやって来る。キャリアは停滞、夫婦の間もしっくりいかず、金のためCM俳優に甘んじる自分自身に嫌気がさしているボブは、撮影を終えたら一刻も早く帰国したい。言葉の通じない撮影現場でボブを一層困惑させるのは、日本側が用意した通訳者の女性だ。始めは頼りがいがありそうに見えたのに、実は彼女の通訳力・英語力は到底プロとして通用するものではなかった。ディレクターが細かく説明したことを、たった一言か二言の簡単な英語に要約してしまうので、肝心な点が伝わらないし、不審に思ったボブの発言を日本語に訳すこともしない。いいかげんな通訳のために、日本人ディレクターとボブはお互い誤解し合ったまま、なんとも噛みあわない珍妙な撮影風景が展開される。映画全編のなかでも一番笑えたシーンの一つだが、実は重層的な見方ができる場面でもある。まず、CMディレクターは英語ができず、ボブは日本語が分からないという設定で、両者がきちんとコミュニケーションできていない本当の理由を分かっているのは通訳者自身だけ。しかも通訳者はその事態を両者に伝えないため、ディレクターとボブのコミュニケーション不全に拍車をかけてしまう。これは実際には「通訳者として絶対にしてはならないこと十ヵ条」(と言うものがあったとしたら)のトップにくるご法度だ。コミュニケーションの手助けをする立場の人間が、不出来な仕事と不誠実な態度とでかえって混乱を招いてしまうのでは、本末転倒もいいところだ。

通訳者が怪しげなことが分かりかけてきたCMディレクターは、しまいにはやけ気味になって、日本語で直接ボブに矢継ぎ早の指示を出し始める。もちろんボブには理解できず、事態はますますややこしくなる。これは「言葉が通じなくても、フィーリングでなんとか理解できるだろう、何とか汲み取ってもらえるだろう」、つまり「通訳などなくてもなんとかなる」というディレクターの意識を示している。言葉が通じない相手と対峙(たいじ)させられた人間が、最終的には開き直って母国語で押し通してしまうというのは喜劇でよくある展開だが、コミュニケーションしようと懸命に努力しているようで、実は全く逆の効果を引き起こしてしまっているという皮肉な状況が余計に笑いを誘う。

さらにこのシーンは私がカナダで見た限りでは、日本語の部分に英語の字幕がつかない。日本で公開されるときは英語部分には日本語字幕がつくだろうから、日本で見る人にはちょっと想像しにくいかもしれないが、英語圏の観客の大半は日本語が分からないため、このシーンでの日本人ディレクターの台詞(せりふ)が分からず、理解できるのは頼りなげな通訳者の英語だけ。つまり画面上のボブと全く同じ立場に置かれるのだ。逆に、私のようにとりあえず両方理解できる人間は、映画のなかの通訳者と同じ立場になる。そんな訳で余計にボブと周りの観客に申し訳ない気がして、何やら肩身が狭いと感じてしまった。

映画を見終わった後、当然のなりゆきで級友と問題のシーンについて語り合った。
「実際はあんなレベルの通訳者が大企業に、しかも大事な仕事のために雇われたりするはずはない。非現実的で失礼な設定では?」「でも、実はコッポラ監督の体験に基づいた話だったのかも。ちょっと英語ができるからといって、簡単に通訳者を名乗るなという警告かな?」「実際にこの映画の撮影の陰にも通訳者がいたはずだろうけど、その人たちはいったいどういう思いで見たのかしら」「でも実際のところ、一般の人が通訳者に抱く印象は、『混乱を招くだけの迷惑な存在』なのかな」。

英語には、「A translator is a traitor(翻訳者は反逆者)」という言い回しがある。二つの言葉を往ったり来たりする翻訳者(通訳者)は、結局どちらの側にも信義を貫けない裏切り者のような立場に立たされる、という意味で、通訳や翻訳に携わる人は自戒の意味をこめて使うことが多いが、この映画のように中途半端な通訳者の場合は、論議の余地なく、クライアント(依頼主)に背く裏切り者だ。映画では、ちぐはぐなCM撮影を終えたボブは日本人も日本文化も理解できず、異邦人のまま大都会、東京を漂う羽目になる。
「翻訳の森で迷子になって(Lost in Translation)」というタイトルはそんなボブの日本体験全体を表現しているのだと思うが、その発端を作ってしまうのがまさに翻訳(通訳)者の裏切りという設定なので、この職業を志す私のような者にとっては、二重の意味で自分自身を省みるきっかけを与える映画だったといえる。