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篠原幸子
静岡出身。短大を卒業後、2年間のOL生活。1997年9月7日渡加。カモーソン・カレッジを経て現在はUniversity of Victoriaで女性学を専攻中。
一人暮らし
毎年ロビーに飾られるクリスマスツリー

2000年の1月から私は一人暮らしを始めた。日本の短大時代も家から短大まで3時間かけて通っていた私には、一人暮らしは生まれて初めてのことだった。カナダに来てから2年半お世話になったホスト・ファミリーの家を出ると決めた時は、親元から離れるようでとても悲しかった。

一人暮らしを決心して最初にてこずったのがアパート探しで、これほど大変だとは思ってもいなかった。初めてカナダに来た時は、留学先のビクトリア大学ESLコースのオフィスがホスト・ファミリーを準備してくれていたため、自分では何もする必要がなく、カナダの生活をスタートすることができた。しかし今回は頼る人がいないので、新聞やカレッジ新聞の広告を見て電話をしたり、アパートの前にVACANCY(空き部屋)のサインがあれば管理人を訪ねたりした。私は経験しなかったが、同じ時にアパート探しをしていたアジア人の学生は、過去に住んでいたアジア人がうるさかったという理由で、入居を断られもしていた。

何軒のアパートに足を運んだろうか。ホームステイ先を出るまで残すところ10日となって、焦りとストレスでやけになっていた矢先、日本人の友人が急きょ帰国することになり、借りているアパートを引き継いでくれる人を探していることを知った。早速彼女のアパートを訪ねると、バス停から徒歩1分、大きなスーパー・マーケットに徒歩10分、通学先のカモーソン・カレッジからもバスで10分と絶好の立地条件だ。

アパートの入り口

部屋は、バチェラー・スイート(キッチンとバスルームが付いた一人用の部屋) の割りには広いイメージを与える間取り。あえて不満を言えばベランダがないことだが、残り少ない時間内でこれほど立地条件が良く、家賃も安いアパートは見つからないと判断した。そのうえ日本に帰る友人を1月中旬までステイさせてあげる代わりに、家具を全部くれるという願ってもない提案を受けて、二つ返事をした。

早速彼女にアパートの管理人を紹介してもらって手付金をうった。手付金といっても家賃の半額で、日本と違って敷金や礼金はない。このアパートの家賃の中に水道電気代とテレビの受信料が含まれているため、私がその他に払うのは電話代とインターネットの接続料金のみ。全部を換算しても日本円にして6万円弱だ。私の弟は東京に住んでいるのだが、彼のアパートは私より狭いのに家賃は私の1.5倍だ。この時は、物価の違いをつくづく感じた。

彼女の家具をそのまま引き継いだので特に引越しのために何を買うということもなく、ホスト・ファミリーに手伝ってもらって無事に引越しを終えた。しかし一人暮らしとなると、ホームステイの時と一番違うのが食事だ。今までは黙っていてもホスト・マザーが時間になれば食事を作ってくれていたのだが、これからは自分で作らなくてはいけない。残念ながら私は料理をしたことがない。母が専業主婦だったせいか炊事洗濯は全部母まかせだった。最初にしたのは、恥ずかしながらカップ・ラーメンの買い出し。その次は日本の両親に電話をして、レトルト食品を日本からどっさり送ってもらった。

アパートの全景

インスタント食品だけに頼る生活を続けること1ヵ月、ついに体に赤信号がともった。インフルエンザにかかったのだ。最初はただの風邪だと思って日本から持ってきた薬を飲んでいたが、なかなか熱が下がらない。今までカナダで病気にかかったことのなかった私はどうして良いか分からず、あたふたとするばかり。熱はついに40度を超え、寒くて震えが止まらない。その時、カナダ人と結婚していた知人の日本人女性が電話をかけてくれた。彼女に病状を説明すると、すぐ彼女のファミリー・ドクターに予約を取ってくれた(カナダではどの家庭にも、ファミリー・ドクターと呼ばれるかかりつけの医者がいる)。診察を受けると、5日ぐらいは40度の熱にうなされるであろうとのこと。それでも先生は、「5日後にはびっくりするぐらい熱が下がりますから」と言った。解熱剤を注射してくれるように頼むと、ビタミン剤と市販の風邪薬で十分とのこと。半信半疑で言われた通り5日間ビタミン剤と風邪薬を飲み続けると、先生が言った通りに、6日目の朝、熱はひき体も楽になった。

この時ほど心細く、他人の親切がありがたかったことはなかった。 今まではホスト・ファミリーに守られてきたのだが、これからは自分で自分のことを守らなくてはいけないのだとつくづく感じた。お料理も少しずつだが始めた。食生活が原因であんなに苦しい思いをするのはもう嫌だと思ったからだ。これが私の前途多難な一人暮らしの幕開けだった。