連載コラム記事
  カナダに住む ワーキング・ホリデー追跡日記

ことばと

粕谷恵子(かすやけいこ)さん
オーストラリアとアメリカを経てカナダに

バンクーバーのダウンタウンにイングリッシュ・ベイと呼ばれる海岸がある。太平洋を臨む市民の憩いの場所で、旅行客が訪れる観光スポットでもある。粕谷恵子さんが好きなのは冬のイングリッシュ・ベイ。人も少なく静かな浜辺で肌寒い風を受けながら、コーヒーを片手に歩く。空と海を真っ赤に染める夕日を眺めるひと時がたまらなく気持ち良い。

粕谷さんは、高校在学中にオーストラリアで2週間のファーム・ステイを経験した。海外に出たとたん、長い間抱えていた体の不調が解消されたことで、外国の空気が自分に合っているのかと思い、それを確かめるために再びオーストラリアのホームステイを体験した。海外で生活している間は心身ともに快調でいられることを確信した粕谷さんは、高校卒業後すぐにワーキング・ホリデー・ビザを取って、再度オーストラリアへ渡った。オーストラリア滞在中に、さらに広い世界を見ようと北米も旅行した。

その時訪れたバンクーバーで、乗客と世間話をするバスの運転手や、席を譲り合い丁寧に道案内をしてくれる人々の姿に、のんびりとした温かさを感じた。周りを見渡せば広々とした空、からっとした空気、街にあふれる花々、樹齢を重ねた大きな街路樹。オーストラリアとも違う新鮮な印象が粕谷さんの心に残った。

ワーキング・ホリデー期間を終えて帰国した粕谷さんは、アルバイトで資金を稼ぎ、今度は語学留学でアメリカに滞在した。帰国後、さらに長く海外で暮らす方策を探した末、日本語を教えながらカナダに滞在する、インターンシップ・プログラムに申し込んだ。派遣された先は、カナダ内陸部に位置するサスカチュワン州のサスカトゥーン。そこで粕谷さんは公立学校の幼稚園児と小学生に日本語指導を行った。きらきらした瞳を向けてくる子どもたちに、楽しみながら日本語を学んでもらおうと粕谷さんは一生懸命指導にあたった。

サスカトゥーン滞在中、粕谷さんは勤務する小学校の教頭先生宅にホームステイをした。その教頭先生は学校では厳格ながら、ユーモアが豊富でとても開放的な女性だった。金曜の夜になると教頭先生は教員や粕谷さんを誘って外へお酒を飲みに出かけた。「ケイコが車で送ってくれるから」と、粕谷さんの運転を頼ってリラックスした明るい彼女を囲んでいつも楽しい酒宴となった。粕谷さんは休日には日系人のための日本語学校でボランティアを行い、大勢の人たちと関わりながらカナダでの時を過ごした。

サスカトゥーンでカナダの田舎の良さも味わったが、バンクーバーにも住みたくなり、帰国後に再度ワーキング・ホリデー・ビザを申請して、1997年にバンクーバーにやって来た。ワーキング・ホリデー・ビザの期限が切れた後もショッピング街でアルバイトを行い、専門学校に通いながら滞在期間を延ばし、カナダで4年半暮らし続けた。そんなある日、イングリッシュ・ベイを散歩中に、一人の女性から「日本人ですか?」と話しかけられた。話してみると、その人は偶然にもサスカトゥーンの日本語学校で同じ時期に日本語指導をしていた人だと分かった。以来、彼女との交流が始まった。彼女は永住権を取得してカナダに住んでおり、仕事中に2人の子どもが預けられる人を探していた。粕谷さんは長期に滞在できるビザが欲しかった。この2人の希望が一致して彼女の家庭がスポンサーとなり、粕谷さんのナニー・ビザ(家事やベビーシッターを行う女性を対象とした就労ビザ)を申請することになった。こうして2000年の春にナニー・ビザを手にした粕谷さんは、バンクーバー郊外のデルタ市で夫妻の家に同居しながら幼児2人を世話する生活を始めた。そして、2年後には永住権を申請。2002年の冬には待望の永住権を手にした。

「カナダに移民として暮らすことができるのも、恵まれた環境にあるのも、すべて人とのつながりから得たもの」と粕谷さんは振り返る。そして、この広い世界のなかで、自分を導いてくれた人々に出会えたことをありがたく感じている。

心身のヒーリングに関心があることから、粕谷さんは足裏のマッサージであるリフレクソロジーを学んだが、指導講師が言った「自分がしたくないと思う相手には行わず、自分がエンジョイできる時だけマッサージを行いなさい」という言葉が印象に残っている。マッサージ以外も同じことで、今やっていることが楽しめないならやらない方が良い。自分の心に忠実に行動を」ということだ。粕谷さんはこのメッセージを心に留めながら、習得したマッサージ技術を仕事として生かし始めている。
「人の目を気にせず好きなことができることがここで暮らす魅力。今が幸せだから先のことは心配していません」。粕谷さんの笑顔からは満たされた思いが伝わってきた。