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篠原幸子
静岡出身。短大を卒業後、2年間のOL生活。1997年9月7日渡加。カモーソン・カレッジを経て現在はUniversity of Victoriaで女性学を専攻中。

卒業、そしてDeparture

韓国レストラン(Korean Garden)のオーナーと

4月2日金曜日、すべてのクラスが終わった。卒業も決まった。感無量! 卒業前にいろいろとトラブルがあったことも、終わってしまえば夢のようだ。卒業するには4単位不足だったこと。その4単位を取得するために女性学のクラスを追加して受講したところ、担当の教授との意見の相違がもとで、違う学部から残りの単位を取るはめになり、卒業が1年遅れたこと・・・。しかし、最後の学期を迎え、これが私の学生生活にピリオドを打つ時かと思うと、あれほど卒業したかったことが嘘のようで、学生生活を終わることが寂しく感じられた。

女性学の縁の下、ヘレンと

始めてビクトリア空港に降り立ち、迎えにきているはずのホームステイ先のファミリーが見当たらず、不安で涙が出そうになったのは1997年の9月のことだった。
ビクトリア大学のESLプログラムに1年入学した後で、カモーソン・カレッジの大学編入コースに入学。初めてカナダ人学生と机を並べ授業を受けた。カナダの暮らしに慣れた後でホームステイ・ファミリーと別れアパートの一人暮らしを開始。偏った食生活がもとで病気にかかり、心細い経験もした。カモーソンでの大学編入プログラムを無事終了し、夢に見たビクトリア大学に編入。語学留学から始めて、ついに正規留学生となった。しかし、小規模で留学生への特別な気配りがあったカレッジとは違い、留学生といえども一般学生と同様に扱われる大学では、英語力の不足を痛感させられた。専攻した女性学の面白さに夢中になったが、卒業論文を完成させるまでには、幾多のハードルを越えなければならなかった。

こうした7年間の苦労が走馬灯のように駆け巡るかと思いきや、意に反して卒業が決まった時は、あっけないものだった。卒業式がすぐに行われないことや、日本のように学年制ではなく学期制であるため、入学時が同じ友達でも卒業時が必ずしも一緒ではないからだろう。

両親に卒業を報告すると、一言目に「就職はどうするの?」と聞かれた。 無理もない。日本社会でいうと私は無職の浪人で、ようは"ぷー太郎"(失業者、定職を持たずフラフラと暮らしている人、アルバイト生活者など)だ。 日本の大学生と違って、カナダ人の大学生のほとんどは卒業後すぐには就職しない。バックパックをかついで旅行に出かけたり、アルバイトをしたりと様々でのんびりしている。
私も、最終学期はのんびりと過ごした。
日本の短大を卒業した時は、ばたばたと就職活動に追われ、自分が何をしたいかを考えるより、早く就職先を見つけることに必死だったのを覚えている。

ひろえさんとサムと一緒に

カナダで就職したいが学生ビザでは仕事はできない。カナダで就職したければ、自分で雇い主を見つけて交渉し、就労ビザを取得するしかないのだ。カナダの4年生大学を卒業すると、自分の専攻分野で就職する場合は1年間の就労ビザが下りるのだが、専攻が女性学では雇う団体はゼロといっても過言ではないだろう。
いろいろ考えたすえ、日本語を武器にカナダで仕事を探すことにした。ここブリティッシュ・コロンビア州は観光にとても力を入れている。日本から来る旅行者のためのガイドや通訳の仕事を求めて、旅行会社にレジュメ(履歴書)を送った。夢ふくらませて面接に望むのだが、就労ビザがないという理由からことごとく惨敗だった。

そんな矢先、両親がゴールデン・ウイークに遊びに来た。
ロッキーを1週間かけて、じっくり周った。天候にも恵まれて、とても良い思い出に残る旅ができたが、ホテルに着く度にインターネットで仕事を探しては手当たり次第レジュメを送る私の姿を見て、母は「焦らず自分のしたい仕事を探しなさい」という言葉を残してカナダを去った。
有難い言葉だった。
自分の世界が広がったらやりたいことが見つかると思ってカナダに来たが、逆にやりたいことが増えただけで何を本当にやりたいか、何になりたいか、未だに答えは見つかっていない。

2004年6月2日、水曜日。卒業式。
いつもと違う朝だった。全然英語が話せなかった私が、英語圏の大学を卒業する。自分の努力だけではなく、両親の経済的・精神的サポート、最初の2年間お世話になったホームステイ先のホストファーザーとホストマザー、留学生活を共に体験したボーイフレンドのサムや友達がいなかったら、卒業を実現させることは絶対できなかった。そう思うと、たった一枚の卒業証書がとても重く感じられた。
これで私の留学記は幕を閉じる。私の人生のなかでもっとも充実した7年間だった。明日から私の新たな道が始まる・・・。

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