ライフ−連載コラム記事
  カナダに住む ことばと カナダ横断旅日記  

歯科衛生士として永住ビザを取得
中村由美子さん
埼玉県出身

中村さんは歯科衛生士専門学校を卒業後、歯科衛生士の国家資格を取得して埼玉県の歯科医院で働いた。勤務先は7、8名の医師に14台の診療台、20人ものアシスタントを抱えるクリニックで、一人の医師が、多い時には1時間に4、5人の患者を治療していた。予約がありながらも、患者は席数の少ない待合室で立ったまま1時間以上待つことも普通で、中村さんは待合室の患者さんのことがいつも気がかりで仕方なかった。ある時医師に、「中村は治療中の患者のことよりも先の患者のことばかり考えている」と言われたが、正直なところ、その通りだった。

こうした状況が不満で別なクリニックへの転職も考えてみたが決心がつかず、中村さんは悶々とした日々を送っていた。その頃、一流企業に勤めていた友人が、会社をあっさり辞めてカナダへ行くことを決めたと話してくれた。そのことが中村さんが海外行きを考えるきっかけとなった。

1996年の夏、中村由美子さんは歯科医院を辞職して、ワーキングホリデー・ビザでカナダに入国した。社会人生活6年目の決断だった。バンクーバーで最初に感激したことは、バスに乗るとだれもがごく自然に高齢者や身障者に席を譲ることだった。また、ラッシュアワーでも東京のようにバスがぎゅうぎゅう詰めになることがないこと、道路での歩行者優先が徹底していること、タバコを吸う人は必ず一般の人から離れた場所で吸うことなどが、中村さんの目に印象的に映った。

中村さんには40年以上前からカナダに住んでいる叔母がいた。渡加後に、バンクーバーから車を400キロ走らせてこの叔母を訪ね、叔母の家族のゆったり生き生きと暮らす姿を目にすることができた。その後は実の母子のように、連絡を取り合うようになった。

カナダでの中村さんは語学学校通いから始め、数ヶ月後には日本食レストランでのアルバイトを開始した。職場ではマネージャー役を任され、労働ビザを申請してくれる機会に恵まれて、ワーキングホリデー・ビザが切れた後もカナダでの生活を続けることができた。

その後、歯科衛生士の仕事でなら永住ビザも取りやすいと知って、いったん日本に帰り、書類を準備して、移民コンサルタントを通じて移民申請の手続きを行った。1年後に、移民局より面接試験の知らせがあり、試験会場のシアトルへと向かった。語学力の不足を心配していたが、面接試験ではカナダに移住する理由や、その他の簡単な質問を受けただけで、面接官から「コングラチュレーション(おめでとう)」の言葉をもらい、中村さんはあっさりと永住権を手にすることができた。

バンクーバーへ移住後、現地日本語新聞で歯科助手募集の広告を見て応募したところパスした。始めてみて、カナダの歯科医院では一人の患者だけを相手にじっくりと時間をかけて治療することが普通であると知った。また、日本では、歯科医師でなければ本来行ってはならないレントゲン撮影に一般の助手がかかわるような違法行為が見られることもあったが、カナダでは資格保有者とそれ以外の人とでの仕事の線引きを明確にしている。モラルがしっかりしたカナダの仕事環境が、中村さんにはとても居心地良く感じられた。

カナダの歯科の資格は日本とは異なり、歯石を取ったり検診を行うことのできる歯科衛生士と、レントゲン撮影や歯の型を取ったり、虫歯予防の処置などを行える歯科助手がある。無資格の場合、医師のアシスタントを行うことはできるが、仕事の内容にはかなり制限がある。
日本で中村さんは歯科衛生士の資格をもっていたが、カナダの免許は取得していなかったため、無資格の助手と同様の立場だった。そこで仕事の幅を広げたいと、この夏、歯科助手の資格試験に挑戦した。筆記試験の内容は日本で学んだものとほぼ同一だが、カナダには実技が試験に含まれている。幸い、中村さんには一足先に歯科助手の試験に臨んだ友人がおり、その際、中村さんは患者役として試験に同行したことが役に立った。試験で肝要な点を事前に把握していたことと地道な学習が功を奏して、カナダの歯科助手の資格を取得し、中村さんの業務範囲が広がった。

ところで、カナダに移住した記念にと中村さんが毎年参加しているのが、地元新聞社主催のバンクーバーのマラソン大会「サン・ラン」だ。5万人近い参加者のなかには、身障者やベビーカーを押しながらの姿もある。周りで声援する人々やバンド演奏の応援を受けながら、大人も子供も和気藹々(あいあい)と走る陽気な大会だ。中村さんはこのマラソンに参加している時に、カナダに来たことを一番実感するという。だれもが気楽に走ったり歩いたり・・・それがまさにカナダの生活そのものと感じられるのだ。

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