ライフ−連載コラム記事
  カナダに住む カナダ横断旅行日記 言葉とKOTOBA

竹内英理奈(たけうちえりな)
三重県出身。1976年生。津田塾大学学芸学部国際関係学科卒。高校で英語教師を務めた後、2004年4月に来加。現在ブリティッシュコロンビア州バンクーバーのサイモンフレーザー大学(SFU)で通訳養成講座受講中。趣味は休日の散策。ストレス解消法はとにかく体を動かすこと。

エシックスか倫理か?
言葉の響きと印象

クリスマスの思い出

カナダでは、クリスマスの一ヵ月前になると街中がイルミネーションでいっぱいになり、各家庭もクリスマスの飾りつけを始める。バンクーバーの冬は陽の入りが早いため、6時ごろにはすっかり暗くなるのだが、クリスマスが近づくほどに華やぐ商店街や、家々の窓からもれる光でほのかに照らし出される並木道が、幻想的な美しさをかもし出す。

年末年始を日本以外の土地で過ごすのは私にとって初めてなので、何もかもが新鮮に感じられた。日本でもクリスマスからお正月にかけての時期は活気があるが、やはりキリスト教圏の国ともなるとクリスマスは一年で一番重要な行事であり、人々の思い入れも強い。準備のための買い物は大変で、なかでもクリスマス・プレゼントを用意するのが一苦労らしい。デパートではクリスマス・シーズンを含む第4四半期(11月から1月)に年間の40%の売り上げがあるのだそうだ。数字だけ見るとそんなものかと思ってしまうのだが、知人宅に招待されたとき、部屋中がクリスマス・プレゼントであふれているのを実際目の前にして圧倒された。

老舗デパート「ベイ」

クリスマス休暇に入る直前、カナダで最も歴史ある「ベイ」デパートをフィールド・トリップで訪れた。ベイは正しくはハドソンズ・ベイ・カンパニーといい、カナダの建国、発展とともに歩んできた会社である。すっかりクリスマス一色の華やいだ店内を案内してくれたのはヘリテッジ(歴史遺産)部門に所属する2人の社員だった。ヘリテッジ部門というのは直接販売に関わるのではなく、ベイの歴史的文化遺産の保護、会社の歴史に関する教育、各地にある併設美術館の運営、文化的、社会的事業を担当している。日本で言えば三越や大丸のようなデパートが地域の人々への文化振興等を含め、医療、教育の分野で貢献しているようなものである。
ベイことハドソンズ・ベイ・カンパニーの歴史は334年に及ぶ。小売業として本格的に発展したのは、ロンドンにある有名デパート、ハロッズの取締役の提案により、美しい店舗がカナダの主要都市に建設されてからである。カナダの歴史を振り返る時には、必ずハドソンズ・ベイ・カンパニーの名が登場する。まさにカナダの歴史をなぞるように大きくなってきた会社と言えるだろう。そのためベイはカナダ社会に対してひじょうに強い責任感を感じているという。

Business Ethics(企業倫理)

「ベイはデパート以上のものであり、カナダ地域社会の一部である」とは、ベイの現在のCEO(最高経営責任者)であるジョージ・ハラー氏の言葉である。ベイの社会的活動の基礎となっている考えを反映するもので、ビジネス・エシックスと呼ばれる企業倫理を明確に打ち出している。エシックスについてカナダ人に尋ねたら、「People's higher and noble instinct(人がもつより高度で高貴な本能)で、Conscience(良心)に近い」という答えが返ってきた。消費者が商品を購入する際、値段や品質はもちろん重要であるが、今や商品の値段、品質、デザインに極端な差がつけられない時代であり、企業それ自体への信頼や評価が消費者マインドに大きく影響する。
カナダで一番の老舗デパートであるベイですら、激しい生き残り競争を無視することはできない。しかし、ただ売れさえすれば良いというのではなく、品格を伴う会社であり続けたいという思いがあるのだろう。またそれこそがカナダ社会に根を下ろし、厳しい競争を生き残ってゆく一つの道であるのかもしれない。

言葉の響きについて

最近では日本でも、ビジネス・エシックス、コンピューター・エシックス、バイオ・エシックス、テクノ・エシックス等、エシックスという言葉が倫理と訳されずにそのまま目立って使われるようになった。エシックス(倫理)の類義語にモラル(道徳)がある。ではなぜビジネス・モラルという言葉を使わないのだろうか。興味深いことに、これには言葉の響きが関係しているらしい。モラルという言葉を使うと、自分だけ、あるいは一方だけが正しいというニュアンスが少なからず出てしまい、不都合が生じるためのようだ。
また、英語のまま日本で使われている点に関しては、「世界中で使われている」、「訳しづらい」、「訳語の意味が重すぎる」など様々に考えられるが、やはり一番の理由は言葉の響きではないかと思う。倫理と聞くと、重大事のように感じられ、エシックスと聞くと、間接的になるためか少し軽く聞こえる。最近顕著になった外来語の乱用に関して、日本の国立国語研究所は分かりやすく、よりなじみのある日本語表現へ変換しようと提案している。確かに、適切な日本語表現があるならばそのほうが望ましい気がする。なぜなら外来語の安易な多用によって本来の意味が置き去りにされ、あいまいになってしまうという面も否定できないからである。一方で、断定的な定義を避け、そのあいまいさをあえて残すことが便利であるために、外来語に頼るケースもあるのかも知れない。
いずれにしても、同じ意味であっても言い方によって受け取り方、印象が変わってしまうのは、言葉の響きによって私たちが少なからず影響されているということなのだろう。