ライフ−連載コラム記事
  カナダに住む カナダ横断旅行日記 言葉とKOTOBA

前号まで
わたしたちは、カナダ横断の走行距離が短くなるというアドバイスに従い、マニトバ州からアメリカに入国し、ノースダコタ州とミネソタ州の境界にあるグランドフォークスで第4日目の夜を過ごした。

大陸横断5日目。7月5日、曇り時々雨。

午前10時30分、グランドフォークスを出発した。ミネソタ州に入り、アメリカとカナダの国境にある五大湖の一つ、スペリオル湖を目指し車を走らせる。その距離約300キロ。しばらくして周りの景色に変化が見られ始めた。土地に多少の起伏が出てきて、道路の両側には木々が見られるようになった。私たちは最も退屈な、北米大陸中部を走りきったのだ。やがて、湖が周りに現れ始めた。ミネソタ州は、「10,000湖の州」というニックネームをもつほど、湖がたくさんある州だ。その代表がスペリオル湖。この湖は世界最大の淡水湖で、琵琶湖の約122倍、九州の約2倍の面積をもつ。とにかく大きい。時間がないため、写真を撮るためだけに1分ほど車を止める。ここまで来たにもかかわらず、滞在時間1分。旅行は時間にゆとりをもってするものだ、とつくづく思った。

スペリオル湖の南をひたすら東へ走ること約400キロ。ミネソタ州から、ウィスコンシン州を通過し、ミシガン州に入る。5日目ともなると、車内で8時間近く過ごすのは、はっきり言って苦痛である。いかんせんすることがない。私は車の免許証をもっていないので運転もできない。そこで私は、この5日間聴き続けてきた韓国人歌手の歌を覚えることにした。韓国語は英語より日本語に似ていると思ったので、そんなに難しくはないだろうと高をくくっていた。

私は10数曲あるなかからお気に入りの1曲を選び、それを覚えることにした。神経を集中させ耳を傾ける。ところが、何を言っているのかさっぱりわからない。気を取り直して、リズムと一緒に覚えようとハミングで歌っていると、ヤンウーとリオが歌い始めた。私が必死で聞き取ろうとしているのを尻目に、彼らは気持ち良さそうに歌っている。それを邪魔するかのように私は2人に歌の解説を求め、1フレーズずつ、発音してもらう。そして、私はその後について歌い、歌い終わったフレーズごとに歌詞の意味を聞いた。ヤンウーとリオは英語に訳すのは難しいといいながらも、なんとか英訳してくれた。私には何となくわかったような、わからないような・・・。曲の感じからして悲しい曲だろうというのは想像できた。歌詞を覚えるために何回も2人の後について歌い質問を繰り返す。2人は半ばあきれながらも説明してくれた。その過程を繰り返しているうちに、何とかサビの部分だけは口ずさめるくらいになっていた。

いつものように車を7時間ほど走らせているうちに、辺りが暗くなってきた。スペリオル湖の半分まで来たというところか。道路の両脇には木々と建物が交互に現れ始め、やがて小さな町に入った。その時、運良く私たちの右手にモーテルのサインが見えた。すかさずヤンウーが車を止め、空室状況と値段を聞く。悪くない。ここに決める。近くのコンビニエンス・ストアでピザを買って今夜の夕食を済ます。さすがに5日目ともなると、モーテルにしても、夕食にしてもだれも文句を言わず、実にスムーズにことが運ぶ。私たち3人の間にチームワークが生まれていた。

7月6日、雨時々曇り。大陸横断6日目。

今日はアメリカから再びカナダに入国する日である。スペリオル湖とヒューロン湖の連結部にある、カナダとアメリカの国境部分には、インターナショナル・ブリッジという橋がかかっている。その両サイド(アメリカ・ミシガン州とカナダ・オンタリオ州)には、スー・セントマリーという、同じ名前の町がある。私たちはその橋を渡って、アメリカのスー・セントマリーから、カナダのスー・セントマリーへ入った。国境を越えるためパスポートを見せるわけだが、アメリカに入国する時に比べるとかなりスムーズだった。日本の高速道路の料金所のように、通行料金を橋の手前で払う。橋を渡った後にカナダの入国審査所があり、そこでパスポートを見せればカナダに入国できる。入国カードを記入する必要もなければ、車から降りてボディー・チェックを受ける必要もない。そして私たちは再びカナダを走り出した。

カナダとアメリカは車で走っている限りでは、これといって目に見える大きな違いはないのだが、私たちは何か目に見えない安心感のようなものを感じた。再び住み慣れたカナダに戻ってきたのだ。しかし、この地域は私が住み慣れたバンクーバーとはかなり違っていた。私たちは昼食をとるため、ショッピングモールの一角にあるフードコートに入った。そこで私たちが目にしたのは白人ばかり。アジア人は私たちだけである。バンクーバーにももちろん白人はいるのだが、アジア人の数がカナダ東部に比べて圧倒的に多い。同じカナダでもここまで違うとは・・・。私たちはカナダ文化の多様性に対してカルチャーショックを受けた。

今日はスー・セントマリーから東へ約380キロのノースベイのモーテルに一泊する。その夜、私たちはカナダに来た目的、カナダで過ごした日々、帰国後の予定などについて語り合った。ヤンウーとリオはこの旅が終わると同時に韓国に帰ることになっている。彼らは8ヵ月という歳月をバンクーバーで過ごし、様々な経験をしてきた。二人とも8ヵ月間で自分の目標を達成したようだった。私はバンクーバーに来てまだ3ヵ月で、あと8ヵ月滞在する予定だ。私も8ヵ月後に彼らのようになるためには、この留学の意味をもう一度考え直す必要があると思いながら眠りについた。(続く)