ライフ−連載コラム記事
  カナダに住む カナダ横断旅行日記 言葉とKOTOBA

ノックス利佳(りか)さん

中学校時代からバスケット・ボールが大好きで、社会人のバスケット・ボールチームに入って活動していた利佳さん。自然とNBAにも惹(ひ)かれるようになり、マイケル・ジョーダンの全盛期には、NBAの全選手を記憶するほどの熱の入れようだった。お気に入りのチームはボストン・セルティックスで、23歳の時にボストンへの留学を計画したが、父の強い反対にあって断念。しかしアメリカ行きの思いは募るばかりだった。

その頃、働きながら海外暮らしができるワーキング・ホリデー・ビザの存在を知った利佳さんは、アメリカに近いという理由からカナダへ渡ることを決めた。それからは、カナダに来るための資金稼ぎのために、早朝はベーカリーでアルバイト、日中は会社、夜はバスケット・ボールの指導の仕事に加えて英語のレッスンと、フル回転で準備に精を出し、12年前に、感激を胸に携えながらバンクーバーへと足を踏み入れた。

渡加一ヶ月後にやっと決まった仕事はウェートレス。それまで事務職だったため心のなかでは抵抗を感じながらも、仕事を始めてみると客とのやりとりから英語を学べたことや、職場で気の合う仲間ができるという大きな収穫があった。その仲間は以後、カナダで利佳さんを支えてくれる心強い存在となった。

ワーキング・ホリデー時代の忘れられない思い出はアメリカ旅行。友人が300ドル(約2万5千円)で買った中古車に乗り込み、「これでシカゴまで行けたら万々歳だ」と話しながらも、難なくシカゴに到着。NBAの観戦を交えつつ、車を使った旅行の面白さに取りつかれるままにアメリカの東南の端、フロリダ州キーウエストへと行き着いてしまった。案の定、その後は車が故障して修理費もままならなかったため、途中からはバス旅行となったが、最終的にはアメリカ一周を成し遂げた。

バスといえば、思い出に残っていることが二つある。
シアトルからバンクーバーへバスで向かい国境を通過する際、利佳さんと友人の二人だけが入国管理局に行かなくてはならず、手続きに時間が取られた。その時、走り去っていくバスを指差して入国審査官が「君たちはあのバスに乗るはずだったのでは?」と言った。バスに置き去りにされたことを知り、利佳さんは呆然。だがその一時間後にやってきた他社のバスのドライバーに頼み込み、無事帰宅できたのは何よりだった。乗せてくれたお礼にと後日ドライバーを訪ねると、お礼の挨拶に来たことを逆に驚かれてしまった。

また、バンクーバー市内の路線バスで、乗客の小学生くらいの男の子がおもむろにバイオリンを弾き出す場面に遭遇したこともあった。その時バスはゆっくりとした運転になり、他の乗客もうっとりと音色に耳を傾けていた。車内にはとてものどかな暖かい空気が漂い、演奏が終わった時には拍手喝采が男の子に贈られた。こんな数々の出来事のなかで、利佳さんはカナダを肌で味わっていった。

ビザの期限となり、後ろ髪を引かれる思いで日本へ帰国。ところが、日本で知り合ったカナダ人の男性、ジョンさんとの交際が始まり、ジョンさんがカナダに帰国してからは、利佳さんが日本とカナダを行き来しながら交際を続けて、結婚への意志を固めていった。

こうして、ジョンさんとの結婚を機にカナダに移住した利佳さんだが、カナダと日本を行き来している間に、日本語教育に関心が芽生えた。
現在はバンクーバー地域の日本語学校で、日本語を母国語としない十代の子どもたちに日本語を教えている。この学校に通う生徒にとり、週に1度の授業が唯一の日本語に触れる機会だ。個々の生徒のレベルには大きな差があるため、利佳さんは指導に困難を感じていたが、今は実力を伸ばすこと以上に、彼らが日本語を学び続けることに意義を見出した。それからは彼らの継続意欲を支えることに視点を定めて、楽しみながら学べる授業を行うために創意工夫し、自らも授業を楽しめるようになってきた。
すぐに結果が出るようなものではないが、生徒の保護者から「子どもが日本に行きたいと言い出すようになった」と聞くにつけ、改めてやりがいを感じる利佳さんだ。

もとから利佳さんは大の子ども好き。自分の関心と経験が活かせて、子どもたちと触れ合える日本語講師の仕事は、心の奥深くから喜びを感じる仕事だ。
カナダには、自分が生き生きとかかわれる仕事、人生を深く真剣に語り合える友や伴侶、都市と調和した自然、物事を広く見渡せるゆったりとした時間等々、利佳さんにとって必要なものがたくさん身の回りに存在している。今この地に暮らせることや、これまで出会ったすべての人や出来事に感謝の思いを抱きながら、利佳さんは自分の人生を多くの人や環境に役立てる道を模索中だ。