ライフ−連載コラム記事
  海外生活アラカルト カナダ横断旅行日記 言葉と  

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悪天候のためトロントの空港で7時間の足止めを食い、ようやく23時にニューヨークに到着。あとはヤンウーが予約をしてくれている宿に向かうのみだ。

ニューヨークに降り立った私たちは宿の住所を頼りに、バスでダウンタウンに向かった。私たちの宿の住所は41th St.(41番通り)とあった。マンハッタンの道路は格子状になっていて、東西に走る「ストリート」と南北に走る「アベニュー」があり、ストリートは南端が1st St.で、北に向かって2nd St.、3rd St.と続いている。「アベニュー」は、東端が 1st Ave.で、西に向かって2nd Ave.、3rd Ave.と続いている。番地は、北から南へ行くほど数字が大きくなり、奇数番地は通りの東側、偶数番地は西側に位置する。私たちが滞在しているカナダのバンクーバーでも道路は格子状に走り、これと似た仕組みであるため、ここニューヨークでも住所が分かれば宿を見つけるのは簡単だと思っていた。
しかし、41th St.を何回往復しても一向に住所が見当たらない。そこでヤンウーが宿のオーナーに電話をかけて場所を聞くことにした。そこの宿は韓国人の老夫婦が経営しているもので、主に韓国人の旅行者を受け入れているらしい。電話を終えたヤンウーの口から発された言葉は信じられないものだった。「オーナーは歳をとっていて、宿までの行き方を説明できない」
そんな話があるのだろうか。どうやって宿に行けばよいのか。
しかし、行動しなければ何も始まらない。そこで、まだこの時間でも営業している店に入って店員に行き方を尋ねる。しかし、返ってくる答えは「Sorry, I don't know.」。
私たちは重い荷物を抱え、右も左も分からないニューヨークのダウンタウンで途方に暮れるしかなかった。

と、そこへ若い女性がタバコを吸いながら私たちの方へ向かって来た。一瞬警戒心を強めたが、怪しい人ではないようだ。彼女は私たちを助けようと思って近づいて来たようである。住所を見せ、ここに行きたいと説明すると、「これはマンハッタンのダウンタウンじゃなくて、橋を渡ったとこにあるクイーンズだ」と言った。私たちは耳を疑った。「マンハッタンのダウンタウンじゃない?」

私たちがニューヨークと聞いて思い浮かべるのは高層ビルの立ち並ぶマンハッタンだ。しかし、実はニューヨーク市はクイーンズ、ブロンクス、ブルックリン、スタッテン島、マンハッタンの5つの地域から成り立っている。私たちの宿はそのクイーンズにあるのだ。私たちはマンハッタンだと信じて疑わなかった。思い込みというのは怖いものだ。それから私たちはタクシーに乗り30分ほどバスで来た道を戻る羽目になった。そんなこんなでようやく宿に到着。時刻はすでに午前1時になっていた。

やっとたどり着いた宿だが、正直お世辞にもきれいとは言えない。部屋は男女別で5人ずつのシェアルーム。フロアには汚れたカーペット、ベッドには使い古された布団。着いて5分もしないうちにジーウンとユージンが文句を言い出した。特にジーウンはカーペットと布団のほこりがひどいため、アレルギーで体中が痒くて眠れないと言う。2人は、「今すぐにでも他の宿泊先に移りたい」と言い出した。私も、彼女たちの気持ちが分からなくもない。しかし、他の宿に移るとなると、問い合わせ、予約、移動などで最低半日は必要になる。そんなことに費やす時間はない。というのも、リオとヤンウーと私に残されたニューヨーク滞在期間は2日間。しかし4日間の滞在期間がある彼女たちは、宿を変更することを必死にヤンウーに説得していた。この時も会議は韓国語で行われ、私は蚊帳の外。私たち4人の仲を取りもとうと努めていたヤンウーには申し訳ないが、彼女たち2人だけが別行動になれば、すべてはうまくいくと心のなかで強く願っていた。

1時間ほど続いた話し合いも終わり、私の願いは残念ながら叶わず、3日目以降に彼女たちが宿を変更するという結論にたどりついたようだ。時刻は夜中の2時。心身ともに疲れきった1日だったが、ようやくひと段落して安心したためか、空腹感に襲われた。ジーウンとユージンは疲れたからと部屋に戻ったが、ヤンウーとリオと私はオーナー手作りの韓国料理を食べた。この宿ではオーナーが客に韓国の伝統料理を作り置きしてくれていて、宿泊者は好きな時間に好きなだけ食べてもよいのだ。味はまずまず。きれいとは言えないが、食事つきで低料金なため2日間ならなんとか我慢できる範囲だ。

こうして災難続きの1日がようやく終わった。明日はいよいよ1日ニューヨーク観光。2週間続けてきたこの旅もあと2日で終わりを告げようとしている。(続く)