天野雄也君は日本の高校に入学したものの、学習に面白みが感じられなかった。大学に進学しようとも思えず、追いかける夢も見つからなかった雄也君は、高校1年も半ばを過ぎる頃、留学することを思い立った。昔から英語が好きで、海外への憧れがあった。また、もともと依頼心が強く、何事も一人で行動することがなかったため、独り立ちしたいという希望もあった。両親は賛成ではなかったが、雄也君の強い決心に留学を許可してくれた。 雄也君は日本で高校3年の1学期を終え、8月の終わりにカナダのアルバータ州に渡った。留学先のジャスパーはカナディアン・ロッキーの雄大な風景に囲まれた町である。ジャスパーへ車で向かう途中で、道路を塞いでいた鹿を見て、雄也君の胸は高鳴った。 高校の校舎に足を踏み入れた時のことは、今でもはっきりと覚えている。 無理を言って留学させてもらった親に報いるために、最初の3ヶ月は学校から帰ると5時間は必死で勉強に打ち込んだ。 会話力は着実についていったが、大変だったのは英語のリーディングの課題だった。本を読めども意味が分からない。とにかく辞書と首引きで、大量の英文を読み込んだ。課題が完全にできなかったこともあるが、やりとげた範囲で提出すれば、必ずその分は評価された。
ホームステイ先のホスト・ファミリーは、とても自由な家庭だった。特別なルールもなかったため、自分の家庭にいる時と同じように過ごすことができ、ホーム・シックになることもなかった。門限もなく放課後も友達と過ごすことが多かったが、これは、ホスト・ファミリーが家族だけで過ごす時間をもてるようにと考えたからでもあった。なぜならホスト・ファミリーのなかには、自ら進んで留学生を引き受けたわけではなく、留学仲介者から頼まれて許諾した場合もあるからだ。そうした雄也君の配慮も手伝って、ホスト・ファミリーとはお互いに適度な距離を保ちながら気持ちの良い生活が送れた。 カナディアン・ロッキーに囲まれた環境のなかで、雄也君は毎週のように山に行っては趣味のスノー・ボードを満喫し、その数は年間50回にも達した。スノー・ボードの回数とともに滑走技術が向上しただけでなく、友達づきあいも深まっていった。 カナダの学校は中学と高校が一緒になっており、先輩、後輩といった上下関係がないために幅広い年齢層の友達ができた。 留学生活全体を振り返ると、決して楽ではなかったと雄也君は感じている。特に大変だったのは留学生同士の付き合いで、やる気のない人と距離を保つことが、若い高校生には難しかった。しかし、高校留学によって雄也君は英語をマスターしただけでなく、自分で何事もやっていく術を身につけることができた。精神的にも成長し、自信をもてるようになった。 高校の先生が留学生の集まった教室で話してくれた一言を雄也君は忘れない。「木が折れないのはしなるからだ」。 |