スタディー−留学・英会話記事
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英語をマスターして生活にも自信がついた
天野雄也(あまのゆうや)君

20歳。
アルバータ州Jasper Junior/Senior High Schoolに留学。


天野雄也君は日本の高校に入学したものの、学習に面白みが感じられなかった。大学に進学しようとも思えず、追いかける夢も見つからなかった雄也君は、高校1年も半ばを過ぎる頃、留学することを思い立った。昔から英語が好きで、海外への憧れがあった。また、もともと依頼心が強く、何事も一人で行動することがなかったため、独り立ちしたいという希望もあった。両親は賛成ではなかったが、雄也君の強い決心に留学を許可してくれた。

雄也君は日本で高校3年の1学期を終え、8月の終わりにカナダのアルバータ州に渡った。留学先のジャスパーはカナディアン・ロッキーの雄大な風景に囲まれた町である。ジャスパーへ車で向かう途中で、道路を塞いでいた鹿を見て、雄也君の胸は高鳴った。
入学してからは、自転車での通学途中に、雄也君がエルク(大鹿)のそばを横切ることもあった。熊にも何度か遭遇した。無邪気に近づこうとする雄也君は、友達から何度も「ノー!ユウヤ!」と止められた。

高校の校舎に足を踏み入れた時のことは、今でもはっきりと覚えている。
校舎は日本と比べて桁違いに広く、きれいだった。教室に入った時はどこに座って良いかわからず、勇気を振り絞って近くにいた生徒に尋ねた。この言葉は緊張感が張り詰めた初日の学校で、天野君が話した、たった一つの言葉だった。天野君は微笑んだり、苦笑いをしながらその日を切り抜けた。

無理を言って留学させてもらった親に報いるために、最初の3ヶ月は学校から帰ると5時間は必死で勉強に打ち込んだ。
英語に関しては、文法の知識は日本の高校で学習した内容で十分だったため、語彙(ごい)を増やすことに集中した。いつも電子辞書を持ち歩き、積極的に周りの人に話しかけては、一つひとつの会話を頭に焼き付けた。暇があれば聞こえてきた単語を紙に書いて意味を調べた。また、声をかけられずとも自分からカナダ学生のグループにどんどん入っていった。
こうして実際の会話のなかで出てきた単語は忘れることはなかった。高校卒業後2年が経過した今でも、あの単語はあの人とのこんな会話で出てきた言葉だとはっきり覚えているものが数多くある。

会話力は着実についていったが、大変だったのは英語のリーディングの課題だった。本を読めども意味が分からない。とにかく辞書と首引きで、大量の英文を読み込んだ。課題が完全にできなかったこともあるが、やりとげた範囲で提出すれば、必ずその分は評価された。
カナダの高校では先生と生徒の関係が対等に近く、授業中に威圧感を感じない点が印象的だった。だれかに強制されることがない反面、すべては自分の責任であることを皆が理解していた。やればやっただけ評価される学校生活は、達成感と充実感に満ちたものだった。

ホームステイ先のホスト・ファミリーは、とても自由な家庭だった。特別なルールもなかったため、自分の家庭にいる時と同じように過ごすことができ、ホーム・シックになることもなかった。門限もなく放課後も友達と過ごすことが多かったが、これは、ホスト・ファミリーが家族だけで過ごす時間をもてるようにと考えたからでもあった。なぜならホスト・ファミリーのなかには、自ら進んで留学生を引き受けたわけではなく、留学仲介者から頼まれて許諾した場合もあるからだ。そうした雄也君の配慮も手伝って、ホスト・ファミリーとはお互いに適度な距離を保ちながら気持ちの良い生活が送れた。

カナディアン・ロッキーに囲まれた環境のなかで、雄也君は毎週のように山に行っては趣味のスノー・ボードを満喫し、その数は年間50回にも達した。スノー・ボードの回数とともに滑走技術が向上しただけでなく、友達づきあいも深まっていった。

カナダの学校は中学と高校が一緒になっており、先輩、後輩といった上下関係がないために幅広い年齢層の友達ができた。

留学生活全体を振り返ると、決して楽ではなかったと雄也君は感じている。特に大変だったのは留学生同士の付き合いで、やる気のない人と距離を保つことが、若い高校生には難しかった。しかし、高校留学によって雄也君は英語をマスターしただけでなく、自分で何事もやっていく術を身につけることができた。精神的にも成長し、自信をもてるようになった。

高校の先生が留学生の集まった教室で話してくれた一言を雄也君は忘れない。「木が折れないのはしなるからだ」。
目的をしっかりもち続けて、柔軟に考え行動することが、新しい環境のなかでは欠かせない要素なのだ。
現在、雄也君は、ワーキング・ホリデー・ビザを取り、世界のスキーヤーが集まるブリティッシュ・コロンビア州のウィスラーにあるレストランで働きながら、スノー・ボードを滑り、スキー場のレストハウスで日本人観光客の通訳をするなどの生活を楽しんでいる。留学生活は雄也君に人生の楽しみ方も教えてくれたようだ。