ライフ−連載コラム記事
  カナダに住む ことばと ワーホリ追跡日記 Hello, Canada

和田 典子(わだ・のりこ)
横浜市出身、1970年生まれ。上智大学文学部史学科卒。出版取次会社、弁護士事務所、外資系銀行等勤務を経て、2003年夏よりカナダ・バンクーバーのサイモン・フレーザー大学(SFU)で通訳者養成講座受講、2004年7月までカナダに滞在。

留学を終えて

カナダ留学を終えて、とうとう日本に帰って来た。この原稿は、横浜の実家で、記録的な暑さという日本の夏に閉口しつつ、爽やかだったバンクーバーの気候を懐かしみながら書いている。振り返ってみると、比較的短い滞在ではあったが、英語そして通訳・翻訳技術を学びたいという決心のもとにカナダへやって来て、やれるだけのことはやって戻って来られたのではないかと思う。むろん、1年強の間でできることに限りはあったが、それでも、これから日本で駆け出しの通訳・翻訳者としてキャリアを築いていくうえで、この13ヵ月間に経験したことは今後の大きな指針や支えとなってくれるに違いない。
それは大きく分けると3つあって、まず「何のために学ぶか」という本質的な疑問に向き会えたこと、次に、英語を学ぶことを通じて自分にとっての日本語の大切さを再発見できたこと、そして最後に、未知の国だったカナダの社会をいろいろな面から知る機会を得たことだ。

「Critical Thinker」−"考える人"になるために学ぶ

大学で受けた授業は、通訳技術、経済学、カナダ文化など、どの教科もたいへん有益だった。自分にとって新しい知識を次々に吸収し、これまでと違う目線で様々な事柄を見直すことができるようになったと思う。しかし、教室で学んだ細々とした事項よりもっと大事だったのは、教科を問わず「何のために学ぶのか」という単純な問いに改めて向きあう機会を得たことだった。北米の大学では、特に人文学系の場合、実利的な技術や知識を学ぶ前に、まずは問題意識をもった「Critical thinker(物事を鵜呑みにせず、本質を慎重に見極めようとする態度を備えた人)」を育てようとする伝統がある。教師の言うことや参考書の内容から社会の動きに至るまで、無批判に素直に納得するのではなく、いったん距離を置いて様々な角度から検討してみて、そのうえで「自分はどう思うか」を考える。そのため授業中に盛んに討論をしたり質問する姿勢が大事にされるのだ。「どんな問題にも自分の意見をもち、表明できる人こそが、真の教養人」――この根本原理を意識しながら学ぶ機会を得られたことは、私自身がこの先「考える人」として生きていくための大事な転機であったし、今後、通翻訳者として、この原理を背景にもつ西欧文化圏の人たちとのコミュニケーションを取りもっていくうえでも、かならず役立ってくれると思う。

遠くにありて思う母国語

英語圏に生活し英語漬けになる一方で、それと同じくらい、日本語についてもより深く考えるようになった。英語の奥深さや面白さを知るにつれ、日本語の長所も良く見えてくるようになった。また、日本語と英語の構造上の違いを再認識し、その違いから発する様々な通訳・翻訳上の問題にも直面したが、そのいくつかはこの連載の話題にも取り上げた。日本語と英語は文法がひじょうに異なるし、論理の組み立て方も違うので、通訳や翻訳をする時も一筋縄ではいかない。「日本語と英語は、翻訳するうえで最も難しい組み合わせではないか?」と授業や実習のたびに恨めしく思ったことが何度もあった。しかし、難しいほどにやる気を喚起させられたとも言える。「外国に出るとかえって日本のことを考える」と、海外に出た人の体験としてよく言われるが、私の場合、日本語と英語の間を行ったり来たりする勉強の毎日で、母国語を見詰め直すことができ、英語も好きだけれどやはり日本語あっての自分自身だとこれまで以上に思うようになった。

カナダでよかった留学先

連載の初回にも書いたが、渡航先としてカナダを考慮し始めたのは留学を決めてずいぶん経ってからのことだった。それ以前は、どちらかといえば英国周辺の文化に馴染んでいたので、カナダを含む北米は私にとって未知の領域だった。カナダについて事前にあまり調べもせず、いわば白紙に近い状態で渡加してしまったのだが、今になって思えば、かえって良かったのかもしれない。とっぴな喩(たと)えかもしれないが、「お見合いで結婚してみたら、いつしか愛を感じるようになった」・・・私にとってカナダとはそんな国になった。

日常で生きたカナダ社会に触れる一方、大学の科目「カナダ研究」で歴史や文化について系統的に学んだり社会問題について議論したりするにつれ、多様な文化と価値観が共存する、複雑だが面白いカナダという国の姿が、自分のなかで徐々に形を成していくようになった。また英国系とフランス系の主流文化のみならず、200以上の異なる民族的背景から集まった移住者の文化や、西洋人より遥か前からこの地にいた先住民の文化など、込み入った「モザイク社会」を構成するコマの一つひとつが、良く見えてくるようになった。そして、そうした異なった文化的背景や価値観をもつ人々が共存していくために、カナダ人たちが試行錯誤しながら築き上げてきた「寛容な社会」というものが、諸々の欠点はあるにしても、これからの世界の行く末を考えていくうえで、目指すべき一つの方向ではないかと思えるようになってきた。私の中でカナダはいつまでもそんな心のよりどころとなる国として残っていくだろう。

こうしたいろいろ考える機会を得たことが、具体的にどう生かされていくかはこれからの人生で明らかになっていくことだろう。「通訳や翻訳を通じて人の役に立ちたい」という初心はカナダに出発した時から今も変わらない。留学によって得たものを大事にしながら、今後も努力を重ね、いつかはこの連載を読んでくださった方たちに、今度は通訳や翻訳を通じて、実際にコミュニケーションのお手伝いをすることで再びお会いできることを願っている。

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