ライフ−連載コラム記事
  カナダに住む ことばと ワーホリ追跡日記 Hello, Canada

アーティスト同士の輪を広げたい
写真家 斉藤光一さん
長野県出身バンクーバー在住

初秋のバンクーバー・イェールタウン。
メープルの落ち葉が早朝の公園を赤く染めている。両側に木立を捉えて路面の紅葉にフォーカスを当てる。ひんやりとした空気の中にシャッターを切る音が響く。

斉藤光一(さいとうこういち)さんはバンクーバーを拠点に写真家として活動する傍ら、冊子やカードのデザインを行い、冬はスノーボードの指導を行っている。海外との結びつきは20代にさかのぼる。ボーイスカウトの指導者として活躍中、子供たちを率いて海外各地に遠征した。子供たちに「夢を捨てないで」とメッセージを送りながら、自分はどうかと省みた時、海外暮らしの夢を実現させようという意欲が生まれた。ワーキング・ホリデー・ビザでオーストラリアに渡り、キャンプ場で生活をしながら農園で働き、生活を共にするキャンパーの人々の世話になるうちに英語が上達していった。

その後、斉藤さんはカナダに渡り、北米のあちこちを周った。バンクーバー近郊にあるグラウス山でスノーボードを開始したのは1988年。まだスノーボードが一般に広まる前のことだ。

日本に帰った斉藤さんは、地元の長野県でスキーやスノーボードの金具を作る会社に設計技師として入社。実際に滑ることも仕事の一部となった。一時、スノーボードのプロの道に進むことも考えたが、レースの練習中にケガをして断念。その頃、英語教師としてカナダからやって来たレスリーさんと知り合い結婚した。日本とカナダを行き来できるようにと長野県白樺湖近くでスキー・スノーボードの店を開き、夏はカナダ、冬は日本という生活を7年続けた。

写真を始めたのは、写真でプロ並みの腕をもつレスリーさんの父親に技術に習う機会を得たからだった。あるコンテストで優秀賞を手にして奨学生としてニューヨークで勉強した。その後、長女みさきちゃんの誕生を期に、店を弟に譲り、カナダをベースとした生活のなかでさらに写真の世界に踏み込んでいった。写真は自分がどんな人間かを説明するのに有効な道具であると考えたのが、その理由だった。「景観の美しいバンクーバーでは初心者でもきれいな写真は撮れる。街角にはきれいなポストカードが山のようにある。しかし、「きれいだね」で終わる写真よりは、嫌われても良いから自分のオリジナリティを追求していきたい」。そんな斉藤さんの思いから、コンピューターに写真を取り込んで独自の作品を作ることを始めた。

ある日斉藤さん家族に悲しいニュースが飛び込んだ。それは日本人女性がアメリカで通り魔に襲われ命を奪われた事件だった。その女性は斉藤さん夫婦と15年来の友人で、前年のクリスマスも共に楽しく過ごした仲だった。事件を機に斉藤さんの心には「生きている間に多くの作品を残したい」という気持ちが生まれた。

生命に対して敏感になった斉藤さんの目に留まったのは冬の枯れ木だった。枯れ木とはいえ死んでいるのではなく寒さに耐え、春を待ちながら日々成長している。カメラを向けると、木々は自分に向かってポーズをとっているかのように振る舞う。捉えた画像をコンピューターで処理し、輪郭をシャープに出すことで、静的な枯れ木の小枝の先からみなぎる生命力がくっきりと浮かび上がる。

街中の人の往来する場所で、時間の異なる2枚の写真を重ねたり、空の写真を枠組みにして木の写真を重ねるなど、斉藤さんは独自の発想でメッセージに富んだ作品作りを続けている。

コンテストでこうした画像処理を施した作品を持ち込むと、写真の専門家からは「グラフィックではないか」と言われ、グラフィックの世界からは「これはグラフィックではない」と言われるという。そこで写真の枠を超えながらグラフィックにも属さない自分のスタイルを、斉藤さんは「グラフィック・フォト」と名づけている。

バンクーバーの画家の協力も得て、カナダではすでに十数回、日本でもコダックや富士フィルムの会場で個展を行った。コダック主催のコンテストの審査に通過し、銀座のコダック・フォトサロンで個展を開いた際に、斉藤さんは専門家から写真に画像処理を加えることへの批判があるかと懸念したが、ある写真家からは「写真の歴史はたかだか100年程度。柔軟な姿勢でやっていけば良い」と言われるなど、斉藤さんの姿勢を後押しする感想を聞くことができた。

家庭では柔軟に時間の使える斉藤さんが主体となって、長女みさきちゃんの子育てを行っている。自分の子供には、国際色豊かなバンクーバーが良いだろうという判断は正しかったと感じている斉藤さんは、子供を通じて地域との交流が生まれたことも大きな収穫と受け止めている。親同士での付き合いがきっかけで、今年はセルビア・モンテネグロ(旧ユーゴスラビア)のベオグラードでの個展も開くことが決まった。

地域とのかかわりという点では、日系のアーティスト同士の横のつながりをもとうと呼びかける自発的な活動を始めている。今後、カナダから北米全体にわたる輪にしていきたいと意欲的だ。
ゆったりと時間の流れるバンクーバーで、斉藤さんは瞬間を永遠にとどめようと独自の視点から自然と人々、そして自分自身を見つめ続けている。

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