ライフ−連載コラム記事
  カナダに住む ことばと カナダ横断旅日記 Hello, Canada

旅行業から指圧師へ
岩崎万里さん

ジェラミさんと訪れたカナディアンロッキーで

岩崎万里さんは、中学時代から海外での生活に憧れていた。短大在学中に訪れたカリフォルニアで1ヵ月間ホームスティを体験したことで、さらにその思いを強くした。短大卒業後に叔母のいる米国インディアナ州に留学することを計画していたが、「1年くらい社会勉強をするのも良いのでは」という母親のアドバイスに従い、東京の大手旅行代理店に就職し、北米のツアー・パンフレット作成担当者として、会議や下見、そして個人旅行でと、何度もカナダとアメリカを訪れた。
万里さんは、知れば知るほどに、北米の魅力に取り付かれていった。会社からの帰宅は夜9時が当たり前の生活で、繁忙期には翌朝になってから帰宅することもしばしばだったが、仕事が面白く、ハードなスケジュールも全く苦にはならなかった。それどころか1年の社会勉強のつもりが、気が付くと9年もの年月が過ぎ去っていた。

BC州デンマンアイランドに訪れた際、地元の海辺で取った牡蠣(かき)を焼いて

そんな頃、北米で働くことを希望し、日頃よりその希望を同僚に語っていた万里さんに、頻繁に連絡を取り合っていた同社のカナダ支店から、万里さんを雇用することができる旨の連絡が送られてきた。万里さんはカナダ行きをご主人と家族に認めてもらった感謝の気持ちを胸に抱きながら、大喜びでバンクーバーに赴任した。ご主人を日本に残しての単身赴任だった。

カナダ支店の一員としてのスタートを切ったのは1997年のことだった。
オフィスでは、英語力不足を痛感し、こわごわと電話を受ける日々がしばらく続いた。生活環境が変わったことで、仕事に対する考え方も変わった。今までの仕事を生きがいとした生活から、勤務時間以外には、自分の生活を楽しむことを考えるようになった。
夜は英語学校に通い、そこで様々な国の出身者と出会った。そのなかでも特に仲良くなったのはブラジル出身のクラスメート。彼女を通して知り合った友達をきっかけに、庶民的で陽気なラテンの音楽やダンスにひかれていった。毎週金曜の夜にはコミュニティ・センターで開かれるサルサダンスの教室に通い、レッスン後に開かれるパーティやあちこちのサルサ・パーティに参加した。ダンスをしている間は何もかも忘れて自分を開放できる一番楽しい時間だった。休日も朝から晩までサルサ音楽を聴き、サルサは万里さんの生活の一部となっていった。

就労ビザの期限が迫った時、カナダに残るか、日本へ帰るかの選択を迫られた。万里さんが最終的に選んだ道は、カナダでの生活、そして日本にいるご主人との離婚だった。
カナダで生活するために永住権を取得し、万里さんは友人の経営するバンクーバーの指圧学校の夜間コースに通い始めた。
しばらくダンスから足が遠のいたが、たまの息抜きにと訪れたサルサ・パーティで、日本での生活経験のあるジェラミさんと出会った。万里さんは、何もかも温かく受け入れる彼の人柄に惹(ひ)かれた。お互いが離れがたい存在となるのには時間がかからなかった。

万里さんは指圧の学校を卒業してまもなく、学校の経営するクリニックに就職した。迷いもあったが、当時低迷していた旅行業の先行きを思って新たな世界に飛び込んだ。

指圧師として働きはじめてから10ヵ月が過ぎた頃、脳卒中で半身不随になったおばあさんを担当した。血色が悪く、やせ細った体つきの患者さんではあったが、考え方はとても前向きで、自分から体を良くしようという意欲に満ちていた。そのせいか、3ヵ月後には血のめぐりが良くなって、肌に健康的な色がよみがえり、筋肉もついていった。その患者さんとは手紙のやり取りも行うほど懇意になり、万里さんが妊娠してからは、「私の赤ちゃんを抱くことを目標に一緒にがんばろうね」と声をかけながら、共に体の回復に取り組んだ。
この夏、万里さんは出産のためにクリニックを休むことになったが、産休前の最後の日、万里さんはこの患者さんから、今までの指圧に対する心のこもった感謝の言葉を受け取った。万里さんは、元気になってほしいという思いを込めたハグをして、彼女をクリニックから見送った。

万里さんは指圧の仕事への思いをこう語る。
「指圧師は、患者さんがもともともっている自然治癒力を引き出すお手伝い役に過ぎません。外からの私たち指圧師の力と、患者さんの内からの力が調和して初めて良い治療ができます。そのためには何よりお互いの信頼関係が大切。そして、指圧創始者の浪越先生の言葉通り、自分の力で病気を治してやる、という考えは捨て、傲慢になることなく、共に治していきましょうという気持ちで治療にあたることをいつも心がけています。指圧をすることで人に喜んでもらえること、それを仕事にできることが、私にとっては最高だと思っています」。

自宅の暖炉のある居間には、ゆらゆらと揺れる赤ちゃん用のベッドが置かれている。現在は妊娠中で、サルサ・ダンスも指圧も一時休止。ゆったりとした時間のなかで万里さんは今までを振り返る。異国の地、カナダは、万里さんにとって自由に生き方を選択できる場所。だからこそ旅行業からかけ離れた、今では天職とも思える指圧の勉強にもすんなり踏み出せた。そして素晴らしいパートナーとの出会いもこの地から生まれた。これまでの経験が一つも無駄なくつながって、今の満ち足りた自分があるこることを、おなかの赤ちゃんに手を触れながら万里さんは実感している。

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