旅行業から指圧師へ
岩崎万里さんは、中学時代から海外での生活に憧れていた。短大在学中に訪れたカリフォルニアで1ヵ月間ホームスティを体験したことで、さらにその思いを強くした。短大卒業後に叔母のいる米国インディアナ州に留学することを計画していたが、「1年くらい社会勉強をするのも良いのでは」という母親のアドバイスに従い、東京の大手旅行代理店に就職し、北米のツアー・パンフレット作成担当者として、会議や下見、そして個人旅行でと、何度もカナダとアメリカを訪れた。
そんな頃、北米で働くことを希望し、日頃よりその希望を同僚に語っていた万里さんに、頻繁に連絡を取り合っていた同社のカナダ支店から、万里さんを雇用することができる旨の連絡が送られてきた。万里さんはカナダ行きをご主人と家族に認めてもらった感謝の気持ちを胸に抱きながら、大喜びでバンクーバーに赴任した。ご主人を日本に残しての単身赴任だった。 カナダ支店の一員としてのスタートを切ったのは1997年のことだった。 就労ビザの期限が迫った時、カナダに残るか、日本へ帰るかの選択を迫られた。万里さんが最終的に選んだ道は、カナダでの生活、そして日本にいるご主人との離婚だった。
万里さんは指圧の学校を卒業してまもなく、学校の経営するクリニックに就職した。迷いもあったが、当時低迷していた旅行業の先行きを思って新たな世界に飛び込んだ。 指圧師として働きはじめてから10ヵ月が過ぎた頃、脳卒中で半身不随になったおばあさんを担当した。血色が悪く、やせ細った体つきの患者さんではあったが、考え方はとても前向きで、自分から体を良くしようという意欲に満ちていた。そのせいか、3ヵ月後には血のめぐりが良くなって、肌に健康的な色がよみがえり、筋肉もついていった。その患者さんとは手紙のやり取りも行うほど懇意になり、万里さんが妊娠してからは、「私の赤ちゃんを抱くことを目標に一緒にがんばろうね」と声をかけながら、共に体の回復に取り組んだ。
万里さんは指圧の仕事への思いをこう語る。 自宅の暖炉のある居間には、ゆらゆらと揺れる赤ちゃん用のベッドが置かれている。現在は妊娠中で、サルサ・ダンスも指圧も一時休止。ゆったりとした時間のなかで万里さんは今までを振り返る。異国の地、カナダは、万里さんにとって自由に生き方を選択できる場所。だからこそ旅行業からかけ離れた、今では天職とも思える指圧の勉強にもすんなり踏み出せた。そして素晴らしいパートナーとの出会いもこの地から生まれた。これまでの経験が一つも無駄なくつながって、今の満ち足りた自分があるこることを、おなかの赤ちゃんに手を触れながら万里さんは実感している。 |
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