千津枝・リスター(ちづえ・りすたー)さん
バンクーバーの郊外、アメリカとの国境に程近い海辺の町ホワイトロック。日帰り観光地として人々に人気があるこのこぢんまりとした町で、千津枝さんは小さなカフェを営んでいる。 新潟出身の千津枝さんは学生時代、英語が一番苦手で外国には全く興味が無かったという。海外旅行にも行ったことのなかった千津枝さんが、今はカナダで、現地人スタッフを6人も抱えるカフェのオーナーという人生の妙。それは映画のシーンにあるような出会いから始まった。 地元・新潟での出会い 夫のケリーさんは大工の棟梁で、当時、カナディアン住宅建設のために日本各地に派遣されていた。新潟に滞在中のある晩、同僚らと地元の居酒屋へ出かけたケリーさんは、同じ居酒屋に友人と来ていた千津枝さんにひと目惚れしたのである。 「あちらのお客様からです」、と店員がカクテルグラスを千津枝さんに差出し、その店員が指し示す先には、ウィンクする碧眼・金髪の青年がいた。まだこの辺りでは外国人が珍しく、「なんてハンサムな人がいるものだ」と思ったそうだ。 多くの困難を乗り越え結婚へ 初めてのデートは通訳付きだった。2回目以降は辞書片手に、ジェスチャーと絵で"会話"した。本当に英語が嫌いだった千津枝さんは、基本的な会話さえ知らなかったのだ。
犬がきっかけで広がった世界 新居は現在と同じホワイトロック。しかし、移民の許可が下りていなかったため、千津枝さんは働くことができなかった。日本ではオフィスのマネージャーとしてバリバリ働いていたのに、急に家の中に籠もる生活へ。夫は仕事でいない。外へ出ても言葉もほとんどわからない。このため、千津枝さんはうつ状態となり、泣き暮らした。
「自分の店がもちたい」と奮起 精神的にも落ち着いた2年目、移民許可が下り、千津枝さんは日本人美容師のアシスタントとなった。「手に職を」と始めた仕事だったが、1年働いて自分の進む道ではないと悟り、退職。モデルスクールに通ったり、日本食レストランで働いたりと模索しているうちに、接客が好きな自分に気づく。美容院時代も、顧客との接触は楽しかった。「自分のお店をもちたい」と目標が定まった。当初は実家がラーメン店を経営していたことや、この辺りにおいしいラーメンを出す店が無いことから、ラーメン店を目論んでいた。しかし、前年に住宅を購入、夫の新しいビジネスにも投資したため、千津枝さんには貯金が全く無かった。いろいろ調べるうちに、開店資金を極力抑えるには、現行のレストランを丸々引き継ぐのが1番だと知り、売り物件の噂を聞いては足を運んだ。 念願の物件を手にして まもなく、千津枝さんは自宅から近い、ホワイトロック市内に適当な物件を見つけた。そして日本で飲食店や美容院を経営する姉が言った、「担保が無くても絶対熱意で借りられる」という助言を頼りに、銀行へ資金の借入の交渉へ行った。その結果、事業計画の内容と懸命な姿が認められ、店舗の保証金代に加えて当面の運転資金分まで借りることができた。 手に入れた夢と新たな夢 カフェを始めて1年半。今では店の前を通りかかる地元の人々が「千津枝はいる?」と、訪れるようになった。以前に働いていたレストランのお客も新たな常連となり、夢に描いていたような、お客との距離の近い、温かいサービスのカフェへと確実に成長してきたのだ。メニューに工夫するゆとりもできた。最近はパンも焼いている。 千津枝さんは今、新たな構想を描いている。ドッグ・トリマーになることだ。そして、美容院にペットサロンを併設した店を作りたいとも思っている。
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