ライフ−連載コラム記事
  カナダに住む カナダ横断旅行日記 言葉と Hello Canada

竹内英理奈(たけうちえりな)
三重県出身。1976年生。津田塾大学学芸学部国際関係学科卒。高校で英語教師を務めた後、2004年4月に来加。現在ブリティッシュコロンビア州バンクーバーのサイモンフレーザー大学(SFU)で通訳養成講座受講中。趣味は休日の散策。ストレス解消法はとにかく体を動かすこと。

伝統と革新

最近、ディズニー映画を何度も見返している。
ディズニーの作品はときどき思い出したように見たくなるのだが、今回は細部にまで注意しながら何回も見てみることにした。一般的には子供向けとされてはいるものの、映画の中で使われている言葉は、単純ではあってもなかなか深みのある表現が多い。しかも日常的によく耳にする表現が多いため、大いに役立つ。美しい映像やストーリーはもちろんのこと、名優が登場人物の声を担当しているのも見逃せない。私が特に好きなのはディズニー映画のほぼ全作品に登場するおしゃべりな脇役だ。ストーリーをテンポよく展開させる存在として登場する彼らの話し言葉は早口で多少わかりづらいが、おもしろおかしく、それでいながら深いメッセージを秘めている。

ディズニー映画の醍醐味は、アドベンチャー、ロマンス、友情、家族など、たくさんあって一言では言い表せないが、大きな意味では、生きとしいけるものへの賛歌と言おうか、愛情が根底にあふれている点ではないだろうか。そして、ほとんどの作品に共通するのは「未知なる世界への憧れ」である。ディズニーがアメリカ発祥の映画会社であることが、多かれ少なかれ影響しているように感じられる。というのも、アメリカ社会に潜在的に存在すると言われるパイオニア(開拓者)精神は、未知の領域に踏み出して行こうとするものだからである。ディズニー映画は未知なるものとの出会いと、最終的には相互理解が基本になっている。その過程で主人公は成長し、人生の中で最も大切な要素である愛、友情、信頼などを得ていくわけだ。

「ポカホンタス」はアメリカのネイティブ・インディアンの女性とイギリス人冒険家との恋を描いた作品である。全く異なる世界で育った二人がお互いを理解していく過程に、見る側は引き込まれる。ポカホンタスという女性の自由な精神が、以下の彼女の歌で表現されているので引用してみたい。

What I love most about river is : 
You can't step in the same river twice 
The water is always changing, always flowing
What's around the riverbend
Waiting just around the riverbend
川で一番好きなのは、変化しつづけるということ。
水はつねに変わりつづけ、流れつづける。
川の曲がった向こうには何があるのだろう。
川の曲がった向こうに何かが待っている。

これに対し、ポカホンタスの父である部族の酋長は、川を異なる視点で見ている。小さな川もゆくゆくは大きな川に流れつき、それは不変だと言うのだ。常に新しいものを求め、冒険心と好奇心でいっぱいの主人公ポカホンタスとは対極の、ゆとりと落ち着きを感じさせる。ライオンキングの主人公シンバも血気盛んで冒険心が強く、見たことのない世界に強い憧れを抱いており、無謀な行動さえとってしまう。父王はそうしたシンバの軽率な行動をいさめ、未来の王たる責任を自覚させ、自分の後を受け継ぎ、代々守られてきた王国を守れと教えるのである。新しい世界に憧れる若い世代と、今ある世界を守ろうとする目上の存在。これはどこの社会でも変わりないようだ。

ところで、「転がる石にはコケが生えない」という英語のことわざがあるが、コケの解釈で全く意味が違ってくる。コケを信用とか風格だと捉えると、転がる石は、社会的に落ち着きがなく、認められる存在ではないという否定的な意味になる。反対にコケを、感性をさびつかせるものと解釈するならば、転がる石はいつも新鮮で柔軟性に富んでいるという肯定的な意味になる。

思えば伝統と革新が交差する場所で多くのものが生まれた。ビートルズもローリング・ストーンズも、パンク・ミュージックの元祖セックス・ピストルズも、世界を席巻したバンドはイギリス出身である。イギリスいう長き歴史と伝統が支配する国で、既成の価値観に抗おうとする力として誕生したのだという。イギリスがトラッド(伝統)様式の国でありながらパンクが大流行するというのも納得できる。

ではカナダはどうであろうか。カナダはイギリスの統治下にあった影響を今でも残しながら、一方で独自性をもち、また様々な民族・文化と融合しながら発展してきた。この点ではまさに伝統と革新が交差する国という言い方ができる。しかしながら、カナダという国の長所というか、国民性でもあるのは、極端に走ることがないことだ。激しく互いがぶつかりあうのではなく、吸収されるように、いつの間にか共存していくのだ。こういう国はなかなか他には見られない。

二つの価値観の先に

歴史や伝統を守っていこうとする力と、既成の概念を壊そうとする力のベクトルの先に、新たな可能性が垣間見える。蛇足だが、日本語には「目の上のこぶ」(自分よりも地位や実力が上で、とかく自分の活動に邪魔になるもののたとえ―広辞苑―)という表現がある。意識せずにはいられない存在があるからこそ、自分自身の存在がより際立ってくることも確かなのだ。自分よりも大きな存在に体当たりしていくことができるのは大きな幸運ともいえる。伝統と革新。対極にある二つがあってこそ、それぞれが存在しうるのかもしれない。