ライフ−連載コラム記事
  カナダに住む カナダ横断旅行日記 言葉と Hello Canada

竹内英理奈(たけうちえりな)
三重県出身。1976年生。津田塾大学学芸学部国際関係学科卒。高校で英語教師を務めた後、2004年4月に来加。現在ブリティッシュコロンビア州バンクーバーのサイモンフレーザー大学(SFU)で通訳養成講座受講中。趣味は休日の散策。ストレス解消法はとにかく体を動かすこと。

敗北なきレース

龍は洋の東西を問わず、人々のロマンをかきたてる、ひときわユニークな存在である。日本でも伝説や神話に欠かせない存在だが、中国では海の支配者であり、古代から皇帝の象徴として、権力やパワーのシンボルとされてきた。龍は、まさに生命やエネルギーのシンボルなのである。この力強い龍にちなんで名づけられた競技がある。古代の中国で生まれた世界最古の競技ボート、ドラゴンボート(龍舟)である。その競技人口は現在、世界で1000万人以上とされている。

バンクーバーでは毎年、ドラゴンボート・フェスティバルと呼ばれる大きな競技大会が開かれる。北米で最も大きなドラゴンボートの大会であり、カナダだけでなく各国から選手が集い、様々なイベントも同時に開催されるため、盛大な1日となる。船首や船尾に色とりどりの龍の模様が施された美しい大きなボートを、約20人のメンバーが力を合わせていっせいに漕ぐ勇姿は壮観だ。会場となる入り江では、どよめきや歓声が止まない。観戦中に、カナダの各州やアメリカ、中国、シンガポール、オーストラリアなど世界各地から来た人々と出会えるのも、大きな国際大会の醍醐味である。

先日、このドラゴンボート・フェスティバルに、乳がんを克服、あるいは闘病中の女性たちで結成されたチームが参加したことをニュースで聞いた。カナダ全土から集まったこのチームのメンバーは、年齢も生活環境も違うが、まるで昔からお互いを知っているかのようであったという。心を一つにしてボートを漕ぐことで、sense of belonging(帰属意識・一体感) が生まれるのだ。そして不思議なことに、乳がんという病気を抱えながらも、彼女たちの表情は限りなく明るく、輝いている。生命の象徴である龍の装飾を施したドラゴンボートへの参加は、病気に打ち勝とうという意思の表れでもあり、まさに彼女たちの情熱と、人生に対する前向きな姿にふさわしいものといえるかもしれない。

乳がんと闘うあるメンバーの女性の言葉は、最近耳にした言葉のなかで最も心を揺さぶるものだった。その女性は次のように、すがすがしい笑顔で語ったのである。
「ドラゴンボートに参加することによって、今ここに生きているという、ただそれだけの事実に対する感謝の意識が、際立ってくるのです」 時に本当に心を打つ言葉に出会うことがある。そういう時は、ただただその言葉にうなずかされるだけである。そして翻訳や通訳の道という、言語に携わる仕事を志すことに大きな喜びを感じる。「言葉は、それを口にする人の行動と同調してはじめて、真の力をもつ」と聞いたことがあるが、この女性の場合も、過酷な現実と向き合いながらも、決して人生をあきらめようとしない前向きな姿勢が、言葉と重なり合って、人に訴えかける力をもっているのに違いない。言葉を選ぶ、あるいは吟味するという翻訳・通訳の勉強を続けるなかで、口先だけの言葉に、人を動かす力はないのだと、つくづく思うようになった。雄弁であるということは、もちろん素晴らしいことだ。しかし、言葉というものは、それを使う人を選びもする。いくら立派の言葉を並べたところで、その言葉にふさわしい行動をとっていなければ、何の説得力もない。体現する(embody)という言い方があるが、生き方や考え方を、自分の体そのもので表現できる時に、はじめて本物だと言えるのかもしれない。

ニュースのレポーターは、彼女たちのレースをrace with no lose だとコメントしていた。訳せば、「敗北なきレース」といったところだろうか。ドラゴンボートは彼女たちにとって、単なる競技ではない。勝負に勝ち負けはつきものだが、勝負そのものよりも、自分自身への挑戦や、最後の最後まであきらめない姿勢、また同じように病気と闘う仲間との連帯こそが、何よりも価値あることなのだろう。ドラゴンボートのレースだけでなく、どんな人もその人なりの人生のレースを懸命に走っている。その一人ひとりの、かけがえのない経験や出会いのなかでつむぎ出される言葉を、これからもずっと追い続けられたらと思う。