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Mosaic

モザイク世界

(赤丸 点)

モノで国際化は進まない

その国で生まれたモノの背景にはその国の文化があり、コンセプトがある。モノである以上、輸入したり、形を真似て模造品を作ることはできるが、そのコンセプトを理解していないのでは、その真価はわからない。

 

日本でツーバイフォー住宅と呼ばれている住宅がある。

ツーバイフォー住宅とは、幅4インチ(約12センチ)、厚さ2インチ(約6センチ)の材木を使って建てる住宅のことで、輸入住宅と呼ばれる場合もある。日本には1971年に初登場し、1995年の阪神大震災を契機に急激に普及した。日本の住宅よりも価格が安く、短期間でより簡単に建てられることがその理由だ。

 

ツーバイフォー住宅を昔ながらの日本の住宅と比べた場合、構造や工法の面で差があるだけでなく、コンセプト自体がまったく違う。

例えば、日本の習慣では、家を建てるときは、長年修行した大工が材木選びから施工まで一環して行うが、ツーバイフォー住宅では、各工程が分業化されている。職人は一部分だけを担当するため長年の修行も不要で、現場から現場へと足を運び、流れ作業で複数の家を建てていくので、生産性が高い。

構造や工法も、柱と梁を組み立てていく日本の住宅と、最初に壁を作り、壁を立ち上げて組み立てていくツーバイフォー住宅では根本的に違う。

 

こうした北米ならではの合理的なコンセプトが基本となって、ツーバイフォー住宅は、経済的でより簡単に建てられる住宅となっているのだが、安く建てられて施工が簡単なことが逆効果になって、低級住宅であると見られ、その真価が正当に判断されていないことが多いようだ。
また、コンセプトを理解していないままで建てたために、外観は良くできていても、見えない部分の施工が不完全なために欠陥を出し、ツーバイフォー住宅の質自体が問われることも多くあると聞く。

大工が建てる日本の伝統的な住宅であれ、コントラクターと呼ばれる施工業者の集まりが建てるツーバイフォー住宅であれ、質が良く高価なものもあれば、その逆もある。北米の住宅街に並んでいる瀟洒(しょうしゃ)な住宅を見れば、ツーバイフォー住宅が質の低い住宅であるというイメージは一蹴されてしまうはずだ。
ともあれ、経済的な理由が先行し、ツーバイフォー住宅は日本風にアレンジされて普及してきた。

 

日本は、外国文化を自国流にアレンジすることに長けている。これが悪いことだとは思わない。特に、住宅などは、その国の文化や生活と密着しているのだから、手を加えずにそのまま輸入して建てるわけにはいかないだろう。

しかし、アレンジの度が過ぎて、そのモノがもつ本来の良さが失われてしまったのでは意味がない。そして、このアレンジ能力に長けていることが、日本の国際化にブレーキをかける原因になっているのではないだろうか。

 

国際化は、自国の製品を外国でいくら多く売っても、外国製品をいくら多く輸入しても進まない。国際化を進めるには、世界とコミュニケートする能力をもたなければならず、そのためには、自分とは違ったコンセプトを理解しなければならない。

 

歴史を振り返ると、日本が外国のコンセプトを真剣になって学んだ時期があることに気づく。古くは青銅器を輸入した弥生時代から国中がアメリカにあこがれた昭和時代まで、その時の日本は外国文化に対してハングリーだったはずだ。はたして現代の日本はハングリーだろうか?

 

江戸幕府が17世紀に行った鎖国は、日本の国際化を大きく遅らせる原因となった。その反面で、外国の影響を受けることなく日本独特の文化が大成したが、この現象は、日本の高度経済成長が始まった1960年から現在までの日本に似ている。輸出を積極的に行い輸入製品が氾濫している点では異なるが、経済力が高まるにつれて自信がつき、自分たちの文化を中心に世界を考えるようになったようだ。再びツーバイフォー住宅に例をとれば、ツーバイフォー住宅が急激に普及した1990年代中盤の日本は、バブル経済が崩壊して急迫した状況にあったとはいえ、経済大国であることに変わりはなく、日本が木造建築に長けている事実とプライドもあるため、一見粗雑に見える北米産の木造住宅のコンセプトを学ぼうとする気持ちに欠けていたのではないだろうか。

 

国際化の波は、好むと好まざるにかかわらず、世界中の国に押し寄せている。違った文化をもつ国や人々との共存を避けて通ることはできなくなってきた。それであれば、異文化を自分のモノサシだけで計るのではなく、できるだけオリジナルに近いかたちで理解するよう努力して、自分たちのキャパシティーを広げるしかない。第一、他の文化が生んだ智恵を学ばないのでは能がないではないか。

 

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