カナダに住む(Live in Canada)

高橋和子さんフリーランスライター 神奈川県出身 39歳

市川 愛さん

 

シングルマザーにも生きやすい
カナダ

外国に憧れた子ども時代

子どもの頃「アルプスの少女ハイジ」をテレビで見て以来、私は外国の生活に憧れ続けていた。商社の社宅住まいだった我が家は、近所に海外駐在を終えた家族が多かった。その影響もあり、私はますます外国への憧憬を深めていった。父の海外転勤の話は何度も浮上したが、母の猛反対でいつも立ち消えになった。海外駐在では妻の役割がひじょうに大きく、母は自信がなかったようだ。そんな現実を私は残念に思い、「いつか海外に留学をしたい」と心に誓った。そして小学校5年生から英語も習い始めた。

人生の迷路に遭遇、違う道へ

しかし高校へ進学すると、目の前の生活に夢中になり、いつしか留学への気持ちが薄らいでいった。進路を美大に絞り、将来は広告代理店に勤めたいと思うようになった。ところがこの夢が、古文の単位を落としたことによって打ち砕かれてしまった。若気の至りから教師と衝突、卒業単位を認定してもらえなかった私は、不本意ながら高校4年目を過ごすことになった。さらに、シングルマザーになり、「美大」「広告代理店」の道は絶たれてしまった。

外国への思いが再燃して移住

忘れかけていた外国への思いが、米軍基地へ遊びに行ったことを機に再燃し、私は再び英会話を習い始めた。1年が経った頃、カナダ人青年に道を尋ねられた。その彼と親交を深め、4年後にカナダ・バンクーバーへ10日間の旅行へ出掛けた。当時6月だったバンクーバーの印象は、「世界で1番美しい近代都市」として写った。その気持ちは今も変わらない。
その後、カナダの永住権を取得。長男の小学校卒業を待ち、カナダに移住した。何か特別な当てがあったわけではない。行けば何とかなるだろうと思った。好奇心・冒険心が、私の心配を上回った。

子どもたちに助けられて

勢い込んでカナダにやって来たものの、買物に出るのにも勇気がいる生活は想像以上に大変だった。長男を学校へ送り出すと、そのまま玄関で泣き崩れる日々が続いた。そんな日々のなかで、「友だち作りのきっかけとなれば」と日本から持参したテレビゲームにが功を奏して長男の同級生達が家に遊びに来るようになった。子供達は、ロクに英語を理解しない私にも平然と話しかけてきた。そして、それぞれの子供たちが、「僕のお母さんを紹介したい」と私を外へ連れ出してくれた。また、長男を自分の家に泊りに来るようにと呼んでくれたり、学校のダンスパーティーにも誘ってくれた。そんな子供たちに助けられ、私の異国暮らしは少しずつ融解していった。

様々な環境で暮らす子どもたち

亀のようにノロノロとだったが、私の英語力も向上し、少しずつ息子の同級生たちについても理解できるようになった。タイラー君の父親は体を壊して病院にいて、妹の父親は別にいること。今一緒に暮らしている父親は母親の3番目の夫だということ。5人兄弟の末っ子デイヴ君は、自分だけ父親が違うということ。また、彼は本当の父親には会ったことがないということ。そんな子供たちが普通にいた。家族ぐるみで仲良くしてもらったカイル君の一家は、私からは理想の家族像に見えていた。しかし、ある日両親は別居して離婚、母親は子供たちを連れて別の男性と再婚した。カイル君は「ステップファザー(義理の父親)は、すごく良い人だよ」と言い、引っ越して行った。

世間体がなく生きやすいカナダ

日本で暮らしていた頃は、シングルマザーであることを私は隠し続けてきた。近所の目が常に気になっていた。いわゆる「世間体」が私を縛っていたのだ。カナダでは「人は人。自分は自分」という考えが根底にある。そして、でも子どもを育てやすい土壌がある。高校卒業までの教育費が無料なだけでなく、なかなか仕事が安定しない私は、ずいぶんと福祉の恩恵にも与った。児童手当の受給、健康保険料の免除、公的施設の利用料の免除など、日本では考えられない懐の広さをカナダという国に感じた。また、養子を育てている人の多いことにも感心させられる。とある白人家庭では、実子2人以外に中国人の女の子を引き取っていた。そして彼女に「中国人としての誇りをもちなさい」と教育していた。

いくつになっても夢を叶えられる国

仕事も、縁が縁を呼び、無職になることはなかった。日本の野菜を作る農家、日本食レストラン、美容室のアシスタント、翻訳会社、ドライバー、ガイド、通訳、何でもやってきた。そしてカナダでの生活もすっかり慣れた頃、私はフリーランスライターになっていた。ここでは、日本語の読み書きができることは特技となるのだ。年齢も問われることがなく、いくつになってもなりたい職業を目指すことができるのだ。カナダに来たことで私はシングルマザーであることに胸を張れ、やりがいのある仕事も得られた。母国を離れたことは、日本の素晴らしさを再認識する機会にもなった。個性を認める教育で、長男も素直に育った。私は心からカナダに感謝している。

Top of page