スタディ - 留学・英会話
My High School Experience

海を渡った高校生



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駒板菜穂子 さん
(こまいたなおこ)

東京都出身17歳
Aldergrove Community Secondary School 11年生在学中

自我の強さは香港時代から

 駒板さんの生い立ちはひじょうに国際的だ。5歳まで横浜で過ごした後は、父の転勤に伴って香港へ引っ越した。日本人のための幼稚園に入園したが日本人ばかりの環境にいるのはおかしい」と、自ら両親に転園を申し出た。当時の香港はイギリス統治だったため、公用語はほとんど英語だ。駒板さんは地元の幼稚園に編入し、英語を習得した。その後、再び自分の意思でインターナショナル・スクールを受験し、合格。10歳で帰国するまで、香港のインターナショナル・スクールへ通い続けた。そして香港で見た風景が、後に駒板さんの進む道を決定付けることになる


日本語のハンディを努力で乗り越え

 父が日本国内勤務になったため家族で帰国、小学4年からは東京の公立小学校へ通った。日本語を忘れないようにと、香港時代には日本語の補習授業を受けたり、夏休みに短期間日本の小学校に編入するなど努力していたものの、すっかり英語の方が得意になっていた。わからないことが多く、母に「これは日本語では何て言うの?」とよく尋ねていたが今度は日本語で苦労することになった。帰国直後はそんな状況だったにも関わらず、英語を生かした勉強ができる学校にどうしても行きたかった駒板さんは、猛勉強の末、第一希望の洗足学園中学校に見事合格した。帰国子女枠と一般枠両方に合格という快挙だった。


初志貫徹、卒業式の3日後に出国

 洗足学園は中高一貫教育だったが、高等部へは進学せず、香港から帰国した当時より「私はもう一度日本を出て行く!」と宣言していた通り、駒坂さんは卒業式の3日後にカナダ留学へと飛び立った。留学準備は中学2年から始めていた。香港滞在の流れから、初めはイギリスを希望していたが費用の面で断念し、留学センターの薦めでカナダに決めた。「学校の選択は自分の目で確かめた方が良い」と、父が5日間の下見にカナダへ連れて行ってくれた。そして音楽教育とフレンチ・イマージョン(多くの授業をフランス語で行なう教育法)に定評のあるAldergrove Community Secondary Schoolに決めた。


ホームシックで 泣き暮らす日々

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クワイヤー仲間のKassiと。5月にはオタワでのイベントにも参加した実力派チームだ

 涙にまみれた留学当初だったが、今はカナダでの生活が楽しくてしょうがない。香港時代に培った英語は生きており、「イギリス英語だね」と声を掛けられることもある。フランス語が流暢な友人から特訓を受け、今学期にはフランス語の授業を受講できるようにもなった。中学校が厳しい進学校だったため、今も勉強は苦にならないという駒板さんは、理数系・文系と双方得意。毎週日曜は教会に通い、週4回ゴスペル・クワイヤー(聖歌隊の一種)にも参加している。家族とはスカイプ(インターネット電話)やメッセンジャーで毎日会話している。


国境なき医師団に入りたい!

 駒坂さんの将来の目標は医師。目指しているのは発展途上国などでの国際ボランティア医療だ。その根底には、香港時代に目の当たりにした浮浪者らの姿がある。「自分と変わらない年端の子どもが路上で生活をしている・・・」。そして中学時代に、“国境なき医師団(MSF)”の元医師で、現在“宇宙船地球号”代表の山本敏晴氏の著書『世界で一番命の短い国』を読み、「これだ!」と確信した。山本氏の講演会へ足を運び、「一緒に働きたい」とメールも出した。MSFに参加するには医師としての実務経験が2年間必要なため、一般教養・医学部・インターンと順調に行っても20年計画。「何とか山本先生が現役のうちに絶対に実現したい」と願う。大学進学後には、学費と将来のことを考え、移民申請もするつもりだ。


 駒板さんがひそかに夢中になっているのは、小説の執筆。中篇の作品はすでに書き上げ、文学賞への応募も考えている。内容は中学生の女の子の日常を、内面から追った等身大の物語。「自分を主人公に投影して楽しんで書いた。恋をさせたり、悩んだり。いつか本を出せたら」。壮大な計画がある駒板さんだが、普段は友だちとカラオケや買い物に行ったり、時には友人の家に泊ったり普通の女子高生だ。その天真爛漫さは、きっと途上国の末端医療に光を与える存在になるだろう。


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