スタディー−留学・英会話記事
  大学編入プログラム 私の留学記 海を渡った高校生 クロストーク
  英会話留学無料代行手続き・問合せ

篠原幸子
静岡出身。短大を卒業後、2年間のOL生活。1997年9月7日渡加。カモーソン・カレッジを経て現在はUniversity of Victoriaで女性学を専攻中。
女性学へ学部選考変更してのめり込む
一番仲の良い
女性学のクラスメート、ジュリア

ビクトリア大学(UVIC: University of Victoria)に編入して2学期目を迎えた。気分一新、「がんばるぞ!」と誓ったのだが、今期も英文学を専攻したため私の英語漬けの日々は変わらず、たった2学期目というのにやる気なし。赤信号がともった。

そんな時、女性学(Women's Studies)のクラスが私の興味を引いた。女性学とは、簡単に言えば女性問題をいろいろな角度から見て、その問題がなぜ起こるのかを探求し、どうすれば改善できるかを議論する学問だ。女性に焦点を当てた社会学と言えば分かりやすいだろうか。決して、男性をバッシングするクラスではない。アジアでは女性学への理解は低いが、私も例外ではなかった。私の友達は、私がボーイフレンドと喧嘩(けんか)をしたために女性学に走ったと思ったらしいが、そうではないことを明言しておこう。

女性学のオフィス

では「なぜ女性学?」と思うだろうが、私もこれと言ってはっきりした理由があって女性学に興味をもった訳ではない。しかし、クラスが始まってからは習うことすべてが新鮮で、私は女性学にのめり込んでいった。例えば、日本の大企業が賃金の低い国に行って工場を設立する。その場合、その企業はその国の経済発展のために貢献したと私は考えていた。しかし女性学ではその考えは通用しない。その企業の立場からものを見るのではなく、その国の労働者の立場になってこの問題を考えるのだ。

「安い賃金を求めて進出する企業がなぜ女性問題?」と考える人も多いだろう。とかく、男性よりも女性の賃金が安いと言う理由で、このような工場で働くのは女性だ。「賃金は保証されているだろうか?」「勤務時間は法定以内であるか?」など、今までの私だったら考えもしなかったようなことを永遠と議論する。 それまでの私は、女性を弱いものだと考えたことはなかった。経済力のある父、家庭を守る母。何不自由なく育ってきた私。しかし女性学のコースをとった結果、世の中には苦しんでいる女性がたくさんいることを嫌と言うほど知った。「このまま終わらせて良いのだろうか?」
私はスーパーウーマンになったかのような使命感に駆られた。やれるところまでやってみよう。それが私の出した結論だった。

UVICの女性学のウェブサイト
(http://uvic.ca)

こちらの大学で学部を変更することはとても簡単だ。用意されている紙に必要事項を書けばそれだけで良い。以前にも書いたが、日本のように入学時に学部を選考しなければならないわけでもなく、入学後も自分の意志にそって何度でも学部を変更できる。ダブル・メイジャー(Double Major)といって、2つの学部を専攻することも可能だ。しかし英文学に嫌気のさしていた私には専攻を1つにしぼる方が良策だった。UVICに編入してから、それほど多くのクラスを取っていなかったので学部変更は簡単に済んだ。

入学時のようになんとなく英文学を専攻した時とは違って、今回は確かな意思があって専攻した学部だけに、私は女性学にどんどんのめり込んでいった。
私が特に興味をもったのは、どのように女性がマスメデイアのなかで扱われているかだった。普段何気なく見ているテレビでも、よく観察してみると女性はセクシャライズ(Sexualize:性的特徴を誇張)されていたり、女性でも白人女性以外はエキゾチックさを誇張されていたりと、男性の視聴者に好まれるように仕上げられていることがわかった。他にも、コーラの瓶がなぜあのような形をしているかということ。コーラのコマーシャルを見て、おいしそう!と思う以外にコーラの瓶がどんな形をしているか考えた人がいるだろうか。コーラの瓶は遠まわしに女性の体をイメージして作られたらしい。真中のくぼんでいるところは女性のウエストライン。コーラの瓶は、男性が女性に求める理想の体型を表しているらしい。

女性学を専攻して最初に感じたのは、今まで自分がいかに視野の狭い人間であったかということだ。自分さえ良ければ、周りを特に気にしたことはなかった。こうした自分に嫌というほど気づかされたのは、クラスで従軍慰安婦問題を扱った時だった。これは次回お話するとしよう。